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┃ Label Master's Diary

2004年02月の日記

貧すれば鈍す

無職になってから、それなりに刺激的な日々ではあるが
やはり失ったものも多い。
特に衣食住に関しては、目を覆うものがある。
衣類は基本的にジャージ。おめかししても、無名のジャージが
アディダスに変わるくらいで、ジャージであることには変わりがない。
食事も一食に300円以上かけることもなく、
住家は3畳風呂なし、トイレ共同になった。

思えば収入がないのであるから、ダンボールの家に住んで
残飯を漁らずに済むだけ幸せなのかもしれない、と下を見て
気を紛らわせるような日々である。

本日はかつての会社の同期長谷川君とバンドのVoの岡が
遊びに来て、自分は久しぶりに奮発して「ぶりの刺身」を
買ったのであるが(長谷川君の金で)、自宅に醤油がなかったことに
気づかず、仕方なくマヨネーズをつけて食べた。
「まあ、マリネだよね」「うん、こりゃマリネだね」
と、ひとしきり感想を言い合い、やはり醤油は偉大だ、との結論に至った。
その後、怖い話大会をしたが、さして怖い話も登場せず、
うちの共同トイレが一番怖い、との三者共通の見解を述べ、皆でふて寝した。

明日は、何もなくて良いから、風呂に入りたい。

めげずに絵の仕事下さい。→ godmikami@hotmail.com

2004.2.29[Sun]

禁煙その後、絵を描く

ええと、まず禁煙については、見事に失敗した。
関係各位に於かれましては、誠に申し訳ないの一点張りである。

なんというか、本数を減らそうとタールの多いタバコに移行し、
そのまま吸い続けるっていう、どうにも逆効果な感が否めないが、
とにかく、それでも僕は健気に生きておるのだ。
まあ、三畳にいると気分が鬱積し、暗い考えばかり
浮かぶので、気晴らしにタバコを吸ってでも生きていけるって
素晴らしい、と自分で納得している。文句あるか。

一時期、このくらい気持ちをアートにぶつけようと、絵を書いてみたり
作曲してみたりしたが、テーマがテーマなだけに洒落にならなくなってきて辞めた。
気づけば首吊りの男が7人くらい書いてあったり、
歌詞の主人公が、どう頑張っても三島由紀夫の金閣寺の主人公にしか
見えなかったりしたためである。
まあ、僕が死んだら何もいらないので、時々思い出してくれ給え。

いやー、それにしても麻原彰晃に死刑判決が出た。TVのない我が家
にも、なぜか友人から携帯メールが2通も入り、それを知ることとなったのであるが、
死刑判決が出た事よりも、わざわざ携帯にメールが来ることが
驚きだ。
僕はいったいどんな立場なんだ。
と自問自答した末、無職でしかない、と理解し、ノートの
首吊りの人間がまた一人増えた。

(写真はkill the poltergeist urban securityのTシャツ用に書いた絵)

ミカミ社長に絵の仕事を下さい。 →godmikami@hotmail.com

2004.2.28[Sat]

渋谷ギグアンティックに行ってきた

二日続けて渋谷を徘徊したが、若者がみんな揃って得体の知れない格好をしている。
ジャケットを羽織って野球帽をかぶるような男の率が異様に高いし、
ジーンズの上にスカートを履く婦女子も多い。
野球かジェントルマンか、ボーイッシュかガーリーか、君は一体
どっちだ!ついでに俺の未来もどっちだ!という投げかけが空しく響く。
この意図の見えない若者のファッションに猛烈に腹が立ち、自分は
風呂に3日も入っていないことも棚に上げて、いかり肩でセンター街を闊歩したが、その直後になんと警察に職務尋問を受けた。

どうも最近刃物を使った事件が多発していて云々と若手の警察官が吼えるので、はあはあ、と話を聞いたが
結果的には、彼の職権で僕は自分の持ち物を公然でさらす羽目に陥ったのである。
全くふざけるな国家の犬ども、と思いつつも、始終愛想笑顔の自分もウンザリする。

というか、実は先日も新宿駅前で同様の尋問を受けたばかりだったので、尋問もちょっと慣れたものだった。
そして本日も、常時僕が持ち歩いているピンセットに疑いが及び、
自分はパソコンを分解するのが好きなのだ、と嘘のような本当の
弁解をして、許してもらえた。
こんなに疑われると、いつの間にか知らぬ間に指名手配に顔が載っているんじゃないか、と心配だ。

指名手配といえば、荻窪駅前の交番に「指名手配の顔が携帯で見れます。」
というポスターが貼ってある。
どうやら警察もITの波に乗って、ネット上で指名手配犯の顔を
公開しているようだ。
一見便利なように思えるが、指名手配犯の顔をモバイル上で
誰が見るのだろうか?
そんな疑問にちょっと2月の風がしみる荻窪駅前である。

話がそれたが、本日は5/30(日)、7/24(土)の二回に渡って
「犬ナイト」を開催する予定の渋谷ギグアンティックに挨拶に行ってきたのである。
まずは駅から2分ほどのグッドロケーションに感動。
また建物の5階にあるオフィスの煩雑さにも心が動いた。
スタッフの二名の女性はなかなか元気なお二人で、無職心も躍る。
僕はごちゃごちゃしたところが好きなので、しきりにそのごちゃごちゃ感を褒めていたが
どうやら嫌味に受け取られてしまったようで、不要な汗をかいた。
同行したオオバと部屋の狭さばかり話していたら
最後は「頑張ってください」しか言わなくなった小室さんと
「青春ですね」と言ってくれたジャイさんに心から感謝である。
最近会う人はいい人ばかりでうれしい。

その後、阿佐ヶ谷のコインシャワーでシャンプーのボトルの蓋を紛失した。(写真)
仕方がないので、そのままこぼさない様に持って帰ってきたが、これは心底困った。
試供品の「水分ヘアパック」のボトルが小さくて重宝していたが、
これから先、暫くは風呂に行くときはこの小瓶に気を使いながら
歩かねばならないのが、誠に悲劇である。

いっそ、携帯からシャンプーが出れば良いのに。

(2004.2.27[Fri])

カラテカに会う

起きたのが10時過ぎで、二度寝してたら12時になった。
それにしても、昨晩の腹痛はきつかった。
共用でかつ言葉にできないくらい汚い和式のトイレを有する我が家において、
腹痛による下痢は爪の間に畳針を打ち込まれるような拷問であった。
乗り切った自分にノーベル賞をあげたい。

午後から、大学の研究室に顔を出す。
どうやら、今までのinutic recordsの活動はそのまま研究にもなるらしく、
僕は期待のホープなんだそうだ。
適当に頑張ろうと思う。

夜から渋谷エッグマンで、カラテカがMCを務めるライブに行ってきた。
やたらこの日記に登場する片山氏がスタッフパスで誘ってくれ、
僕は「inutic recordsの雑用」の後藤君を引き連れ、楽屋のカラテカに挨拶をしてきた。
二人とも本当に小さくて、だが実に気さくで良い人たちだった。
ライブもなかなか良く、満足したのである。
ちなみに、デッカチャンという「おはスタ」に出ている芸人さんも
紹介され、この人もいい人だった。
芸人さんはいい人ばかりだ。

これからはお笑いだな、と思った。

(2004.2.26[Thu])

後藤君来て、僕腹痛

今朝は久しぶりに人並みに起きて、午後に来る後藤君のために
部屋を片付けた。
後藤君は下記にもある、6年目にして奇跡の大学卒業を果たした
僕の後輩である。
一緒に高円寺の古着屋を回り、荻窪で飯を食い、銭湯に行くと
どうやら僕の気ままライフに毒されたらしく、早くも僕の部屋で
うたた寝をしはじめた。
しかしウィスキーを飲み、ひとわたり酔ったところで僕は原因不明の腹痛を訴え
現在に至るのである。

今でも非常に腹部が切迫した状況で、最前線では括約筋と液状の
排泄物とが目まぐるしい攻防を続けている。
もうダメだ。

僕はこの荻窪の三畳間で、腹をやられて死ぬ。
inutic recordsのあとのことは、全部僕の弟啓司(バイク乗り)に任せる。

では、さようなら。

(2004.2.25[Wed])

放送作家の絵

昨晩神様に向けて必死に祈りを捧げたお陰か、飲み相手が
雨の中荻窪までやってきてくれた。
カラテカなどのコントを書いている吉本の作家、片山氏である。
片山氏は数日前から、とある切迫した事情で携帯が止められており、こちらからは全く
連絡のつかない事態になっていた。
が、それでもマメに公衆電話から電話をかけてきてくれて、
晴れて一緒にウィスキーを飲めることになったのである。
毎日の暇に耐えかねていた僕にとっては、救世主である。
窮すれば通ずっていうか、そこまで僕も困ってはいないが
それでもこんな暇な夜が何とかなるもんだ、と再度西方に向かって
拍手を打った。

片山氏と話したことの大半は本当にどうでも良いことであるが
その中で「僕は絵が下手で」「いやいや僕こそ」という
本当に鈍らな問答があり、「では、ちょっと書いてみよう」と
思わぬところで、絵の対決になった。

最初に断っておくが、本当に僕の絵は下手である。
デザインのラフ画など大概相手には伝わらないし、高校で美術を
選択していた時も、本当にこの時間が消えてしまえばいいと
呪っていたほどだ。

しかし、世の中常に上には上がいる。
ドラえもん、コロスケ、筋肉マン、ウォーズマン、蟹、鶏、
タモリ、ジョンレノンなどテーマを設けて、片山氏と僕が同じものを書いていったのだが、
ビックリするようなものが片山氏のノートに並んだ。
僕はそれを見て笑い転げて気づけば朝の9時だったわけだ。
非常に不毛かつ非アーティスティックな朝だった。
これで僕と片山氏は共に25歳。
日本に将来は本当に危うい。
(写真は片山氏の「筋肉マン」)

明日は前述の後藤君が遊びに来るようである。

(2004.2.23[Mon])

昨日はライブだった

昨日は新宿でキルザポルターガイストアーバンセキュリティのライブであった。

かつての会社の同期の「華山」というやたらと雅な名前の男に誘われたのだが、
これがなかなか面白い企画でHIPHOPからロック、癒し系のバンドまで広く
カバーした内容で、演りつつも見ながら楽しめた。
華山氏とはかつて一緒にバンドをやっていたこともあるのだが、
彼の声が僕は好きだ。相変わらずがなっていた。
彼を支えるバックも、僕が叩いていた非力なドラムと違い、
どっしりとしたリズム隊だったので、安心して楽しめた。
ラッパーは曲を間違えてやり直していたが、それもまた一興。
また、オレンジプランクトンという現代社会の歪みを必死に修正するかのような
すばらしい曲と歌声を持ったユニットもおり、ゆったりと自分の置かれている状態(無職)
を反芻することができて幸せかつ複雑な気分になった。

それはそうと、昨日かけたパーマが不評である。
プロデューサー気取り、などと呼ばれ、不本意な反面、ちょっと悦に入ったりもしたが、
基本的に自分でも気持ち悪いので、近々ストレートパーマでもあてようと
思っている次第である。
(写真は「それ、いただき!」の図)

それにしても、先ほどまで3畳の部屋にバンドのドラムとヴォーカルが居座っており、
酷く狭苦しい思いに苛まれていたが、やはり一人になると、この部屋は快適だ。
狭いだなんだいっても住めば都。桃井かおり(韻を踏んだつもりがなんでもない、という例)。
居心地が良い。

さて、明日からはまた何も予定がないが、誰かに飲みにでも誘われないかなぁしかも奢りで、と
一人物思いに耽る自分は、やはりダメ人間だと思った。

2004.2.22[Sun]

徹夜で上京、その後パーマ失敗

もうタイトル以上でも以下でもないが、昨日夜の11時に起きたので、
そのまま起き続けて生活パターンを戻すことにしたのだ。
10時に宇都宮を出て、書類を出しに早稲田に。
宇都宮線に乗っていたら、途中でお婆ちゃんが乗ってきたので、
座っていた僕は席を譲ったのだが、お婆ちゃんは微妙な顔をしていて
何故かと思っていたら2分後に次の駅で降りた。
しょうがないので、また僕が座った。
お婆ちゃんとしては、一駅なら立って行けるところ、勢い余った若者が
席を譲りたがるので、しょうがなく座ったという雰囲気だ。
実に心優しいお婆ちゃんだ。どっちが親切だか分からない。

その後、早稲田で髪を切ろうと思い、やたら派手な美容室に飛び込んだ。
思いついてパーマを当てようと思い、店員に説明するのであるが
説明している側から、どうも相手に伝わっていないのは明らかで
非常に不安であったが、
まあ、相手もこの道のプロだし、と割り切って全てを委ねた。
結果、やはり双方食い違った意見の賜物が僕の頭に乗っかっており、
僕は落胆した。人生ってやっぱりこうだ。

5時頃あまりに眠くて寝てしまい、起きたら12時だった。
全然生活改善になっていない。

以前から作ろうと思っていたno-ikketsuの試聴のバナーを作ったが、
綴りを間違えてしまった。

明日はライブだ。

2004.2.21[Sat]

卒業するヤツ、寝てるヤツ

ミサワテンプルのドラムでもあり、僕の後輩でもある後藤君が
ついに6年の学生生活に終止符を打てることになった。
それはそれは、もう限りなく幻に近い終止符だったので、関係者一同
胸を撫で下ろしたり、神様にお礼を言ったりしているのである。

後藤君は本当にイイ奴で、自分の単位も危うい中、僕のテストに
代わりに出てくれたり、深夜に一緒に裸で踊ってくれたり、
駅前で僕と詩の朗読をしてくれたりしてくれた。
大きな袋に入れられてコンビニに放置されたときはさすがに怒っていたが
それでもしょうもないことに良く付き合ってくれて、本当に感謝である。

彼は学業は疎かにしていた分、妙なところで実力を発揮し
学園祭で1人でコントをしてキャンプセットをもらってきたり、
半ズボンで富士山登頂を達成して、その後ホモの高校生に誘われたり
それはそれは実の濃い学生生活だったと思う。
「卒論発表終わりました!」というメールが来たときは
思わず自分の事のように喜んだ。

とにかく、めでたい。

などといいつつも、僕は本日起きたのが夜の11時。
風邪気味とはいえ、許されない時間だ。

母親などはそんな息子に呆れ果てた様子で、グランマのレシピィを
読みつつ、「もうあなたのことは知らないわ」と言った。
僕は2本の煙草をきっちり吸うと、半分にスライスしたボイルドエッグをつまみながら
ブラッディオレンジを絞ったジュースにウォッカを混ぜて飲み、
エリック・サティのレコードをかけて、「ああ」とだけ言った。
そして、僕はやや高級な上着に袖を通すと、
「ちょっと一人にさせてくれ。昨日からまるで地球が割れちまうじゃないかってくらいに頭が痛いんだ。」
と言い、部屋に戻った。
1978年11月16日に、僕は生まれた。
いや、1978年11月16日に、母が僕を産んだ。
その年は、トウモロコシの大豊作で、みんなはそれを齧りながら
エマーソン・レイク・アンド・パーマーを聞いたのだ。
ただそれだけのことだ。

と、途中から村上春樹調になったが、このようなケダルイ雰囲気なのだ、我が実家。
まあ、僕が寝てばかりいるのが悪いんだけど。

さて、明日は東京に戻って、明後日はライブである。

(2004.2.20[Fri])

サッカーW杯予選、久保のゴールで日本勝利

本文とタイトルは関係ない。むしろ興味ない、とも言い切れるほどだ。
非国民だ。文句あるか。
(写真は「部屋とYシャツと私(寄り目)」)


数日前から掛かっていた鳥インフルエンザがようやく治ったので、
原チャを駆って筑波から宇都宮に帰ってきた。
途中、丁度中間地点でタイヤがパンクし、焦って時計を見たらもう夜の7時。
すわ、これまでか、と、このまま栃木県二宮町に凍えて永眠すること
をシミュレーションし、遺書を携帯の待ち受けに設定しているところを、親切なおばちゃんが助けてくれた。
おばちゃんは知り合いのバイク屋を呼んでくれ、バイク屋は時間外にも関わらず現場に駆けつけて
「自治会では一番自分が若い」ということをやたら強調しつつも、パンクを直してくれた。
渡る世間に鬼はなし、とはよく言ったものだ。

それにしても、禁煙がまたもや失敗に終わった。
タバコのフィルターに塗るはずのカラシが、あまり辛くなかったのが敗因だ。
いや、そもそも、カラシを塗らなかったことが敗因だ。
いや、そもそも、タバコの吸い口に辛いものを塗るという計画自体が失敗だ。
いや、そもそも、そもそも、あ、そもそもって変な言い回しだな。
なんか、毛だらけの虫が蠕動しているような。
とにかく、禁煙は失敗に終わり、またもやチェインスモーカーに戻ってしまった僕に幸あれ。

実家で新聞を読んでいたら、地方欄に「宇都宮のカラーギャング、解散」
という記事があった。
それによると、駅周辺で悪事を重ねていた青ギャングのリーダーが逮捕され、チームが解散の運びとなった。
本日は保護者や警察関係者が見守る中、正式に解散を決め、その後メンバーで川原のゴミ拾いをしたという。
今どきカラーギャングという時代錯誤もさることながら、川原でゴミ拾い、という
更生の仕方も宇都宮っぽい。微笑ましく読んでいたら、最後に
「これで宇都宮のカラーギャングは○○付近にたむろする白ギャングだけになった」
と、さらっと書いてあった。
トキの絶滅の記事みたいだ。

明日は荻窪に帰ろうと思っていたが、体調と相談だ。

(2004.2.19[Thu])

風邪をひいて余談三昧

うわ、起きたらいつもと違う天井だ、と寝起きの感想空しく友人宅で一夜を過ごし、
覚めてみてもやはり喉が痛い。関節も痛いし、喉が痛いし、
寒気がするし、喉が痛いし、鼻水も出る上に喉が痛い。
これを一般的に「喉が痛い風邪」という。

しかし、またこの平日晴天なのに昼間から布団で寝ている贅沢さ、
これは筆舌に尽くしがたい。しかも、ただの怠惰で寝ているのではなく、
風邪、という大義名分がある。自分のやや荒い吐息をBGMに、
日がな一日天井ばかり見つめて過ごす時間。これぞ至福。
このような僕のような輩を一般的に「怠け者」と呼ぶ。
発音は「namake-mono」で「nama-kemono」と発音すると
「生獣」という、ニュアンス的にはかなり逆の、やたら肉食いそうな
四つ足動物っぽくになってしまうので注意だ。

そう、今日は特に何も無くて暇なのだ。
以下は余談なので、読まなくても害は無い。っていうか、全部だけど。

今度は大分で鳥インフルエンザが見つかったらしいが、
この名前は何とかならないのだろうか?
これを逆にして、「インフルエンザ 鳥」にすると一気に引き締まる。
ちょっと映画の予告編みたいだ。
前株、後株、みたいに、前鳥、後鳥みたいな。

鳥で思い出したが、鳥山明の事務所は「バードスタジオ」だ。
これが僕の場合、「スリースタジオ」になる。
うまく言葉にできないが、悲しい。

悲しい、と言えば、我が社の副社長鈴木の実家の家紋が「きゅうり」なんだそうだ。
それはそれで凄く笑ったが、僕の実家は「ミツウロコ」というもので右上の画像のようなものであると最近判明した。
「ミツウロコ」とは幼い頃から聞いていたが、それにしてもひどくディフォルメされたウロコだ。
もっと菊の御紋や葵の御紋みたいに、緻密なウロコかと思っていた。
これならきゅうりのほうがマシだ、と思った。

もうFIFAワールドカップの予選で最近TVが連日大騒ぎだということを
最近知った。オリンピックが今年開催されるのを知ったのも最近であるし、どうも世の中の動向、特にスポーツに関しては疎い。
いっそこのまま、スポーツに関してのニュースを完全に遮断し、
生きた化石のようになって一儲けできないだろうか?と考えたが、
できないな、と寸時に悟り、これからはニュースを見ようと思った。

「あいつには煮え湯を飲まされたよ」などと言うが、3畳間でガスコンロもないような僕にとっては、煮え湯様様だ。
特に寒い夜には、煮え湯が恋しい。

ところで、銀行ATMの「ATM」とは何の略か?
意外に知らない方が多いと思われるが、実は僕も知らない。
教えてくれ。

あと、幼少の頃、バック・トゥ・ザ・フュチャーに出てくるような
ホバーボード(宙に浮くスケボー)が近所の日曜大工の店に
売っていたような気がするのだが、あれは何だったのだろう。
合わせて回答お待ちしております。

(2004.2.18[Wed])

風邪ひいた

昨日の日記を書いた時点で、すでに喉など痛かったのであるが、
ここに来て完全に風邪をひいた。
多分原因は、僕の3畳の部屋が寒すぎるのでヒーターを付けっ放しで
寝たのと、なぜかその寒い部屋で上半身裸で
昨日の日記のGIFアニメを作っていたからだと思われる。
風邪をひいた上に、へその横を虫に刺された。(写真)
触ると痛い。腫れ物は1粒でもピリリと痛い。

というわけで、勢いで実家に帰る途中につくばに寄ったのだが、
友人の家で寝かせてもらっている。
情けないものだ。

ふと思ったけど、友人の家でわざと風邪をひいて、そのまま居座る、という
手段もあるな。ここなら風呂もあるし、何より暖かい。
あとは友人がむくつけき男ではなく、可愛い女の子だったら良かったのに。
ナイチンゲール現象も狙える。
などと、無職社長の戯言。

明日は、買ってから半年近く後輩の家に放置した、原チャで宇都宮まで帰る予定だ。

(2004.2.17[Tue])

それにしても、寝る寝る

僕は最近本当に良く寝る。

大体、無職で社長とくれば、時間的に拘束するものが一切ない。
あるとすれば、それは空腹もしくは便意尿意、寝すぎによる頭痛などの生理現象で、
それも「お金が2円しかないのにメシなぞ食えるか」
「舌を出すのも勿体無いような無職に排泄行為など百年早い」
「頭痛上等、頭が割れるまで寝て、少しでも身長を伸ばす」
などと、自分の中で自己消化解決納得してしまうので
いかなるものも僕の睡眠を妨げるものなどありはしないのだ。
しかも、起きている時間帯は深夜が中心で
得てして寝るのが明け方、当然のように起きるのが夕方になる。

では、深夜に起きて何をしているのか、と問われれば、若干答えに窮する。
なぜなら、具体的にさして何かをしていることなどはないからである。
僕の無職生活に興味津々の友人達から「最近何をしているのだ?」と
頻繁に聞かれるが、「別に」「特に」などと答えはいつも曖昧である。

一時期、ここはひとつ具体的に答えてやろうと
「基本的に座っている」と返答すると
どうも友人は揃って心配になるらしく、飯を食いに行こう、だの
ドライブに行こう、などと暖かい言葉を掛けてくれる。
僕は一層惨めになるのだ。

寝る子は育つ、という格言があるが、最近僕がダラダラ寝ること
で得た格言はこうである。
「寝る子はヒゲ伸びる」
どうもありがたみがないが、事実こうだから仕方がない。

そろそろ、辻潤が近づいてきたような気がする。

今から実家に帰るぞ。

(2004.2.16[Mon])

RANCID見てきた

本日は僕が学生時代より熱く焦がれていたバンド、RANCIDの来日公演を見てきた。
場所はZEPP東京という狭すぎず広すぎずの良いハコで、
それはそれは興奮して猿面を真っ赤にして叫んできたのである。

同行したのは昔の会社の同期とその友人で、写真を見ると分かるが
(写真の中央左側のサングラスが僕)
バキバキのモヒカン君を筆頭に怪しいヤツラばかりであった。
ちなみに、僕はずいぶん前から、この日は去年の夏に購入して
着る機会がなかった革ジャンを着て臨もうと決めており、
合わせて実家からトロイの黒パンツだの、ジョージーコックスの
ラバーソールだのを持って帰って準備万端であった。

自宅を出る直前まで、髪の毛を立たせようと頑張ったが、如何せん
髪が伸びすぎて立たない。どうすれば良いか?と思い、そういえば
以前、野良犬(犬ナイトVol3出演)のVo(モヒカン)に「その髪はどうやって立てるのか?」
と問いただしたところ、「石鹸っすよ。ほら、風呂入って髪の毛洗うとき、立つでしょ?」
との珍回答を得たのを思い出した。

早速石鹸を泡立て、髪の毛に塗りたくると、さすがに立派に屹立した。
しかし、立ったは良いが、どうも風呂上りの匂いがする。
全然パンクっぽくないのだ。しかたなく、 
その上からムースやワックスをつけて異様な匂いを振りまきつつ
出かけた。

ライブ会場でI THINK(犬ナイトVol3出演)の面々に会い、抱き合う。
ライブ中もひどく隣に盛り上がってるヤツがいるなぁ、と思ったらI THINKのドラムだったりした。
こいつらも最高だ。

とにかく、ライブは最高で夢中で2回もダイブし、
2回目のダイブで靴を片方無くしたので、その後は後方でゆっくりと見物した。
RANCIDは7枚ほどアルバムを出しているが、
僕の好きな1,2枚目の曲を沢山やってくれて、うれしかった。

とにかく、RANCIDは最高だ。
今日ばかりは「お洒落でも知的でもないパンクが好きで良かった」と思った。

2004.2.15[Sun]

┃ また中央線止まってる

本当に良く止まるものだ、中央線。
気を抜くと人身事故を中心に、地震だ火事だとストップすることに余念がない。
しかも、どちらか止まるなら分かるが、必ず仲良く上下線とも止まる。


その「上も下も」の感じが「下痢に嘔吐に」の食中毒の症状に似ているので、
これからは中央線を中毒線と呼ぼうと心に決めた。

どうでもいいな、この日記。

2004.2.14[Sat]

┃ 実家に帰っても寝ている

昨夜よりまたもや宇都宮に帰って来ているのだ。
荻窪では毎日昼まで寝てしまうような生活が続いて、
これは良くない、本当に腐ってしまう、となかば焦燥感に駆られて帰省したような節も
あるのだが、結論から言えば、起きたのは午後五時であった。ショックだ。

よって、日記に書くようなことなどない。敢えて書くなら、
母親からバレンタイン・チョコのかわりにバリカン一式をもらう夢を見た。
くらいのものだろうか。

ああ、明日は晴れなくても、楽しくなくても、何もなくても、
せめて起きていたい。

(2004.2.13[Fri])

また禁煙だぞ、ばか

もはや、誰も期待していないだろうが、禁煙を始めた。
約20時間が経過し、吸ったタバコが2本と、禁煙とは遠く及ばない結果になっている。

そもそも、ここ2年で禁煙を思い立ったのは1度や2度ではない。
「この1本が最後」と、くわえタバコで禁煙を誓うことすらある。
ヘビースモーカーの僕にとって、完全な禁煙はちょっとハードルが高すぎる課題なのである。

なので、僕自身も禁煙を始めて、その途端に全くタバコとは無縁、いや
タバコだけに無煙か、そのような関係になれるとは思っていない。
一見、「お前は甘い」とのご指摘を受けそうだが、
これは僕の性格を鑑みて、至極当然の処置と言える。
すなわち、「禁煙をしている」という意識を持っているだけで、
新しくタバコを買ったりしないし、無駄に吸ったりしないので、
「タバコの減量」には非常に効果的なのだ。
よし、自己分析は完璧。

とか何とか言いつつも、この勢いだと数週間後には元の木阿弥になり、
関係各所から嘲笑を浴びるのは火を見るより明らかだ。
何らかの対策を打たねばならない。

そこで!
やはり問題解決には大胆かつ着実な計画を練らなければならない。
タバコを吸うのは、もう普通にニコチン中毒なのであるが、
最近流行の禁煙補助薬のようなものを服用するのは癪だ。
何より出費がかさむ。しかも、二コレットだかマホメットだか分からんが
どこの馬の骨とも分からん薬学者の考えた薬で、
僕の喫煙に別れを告げられるとは考えにくい。
全くをもってハイリスク・ハイリターンだ。

そこで、温故知新ともいうし、自分の過去のケースを分析し、
そこから自ずと成功しやすい方法が見つからないものか、と
3畳間でとうとうと頭をひねった。

自分が非常に何かを止められなかったとき、しかも「口寂しい」という
漠然とした大きな敵に立ち向かったとき。
はたと気づけば、あったあった、そんなことあった!

明日から、タバコにトウガラシとか辛いものを塗ろうと思う。
自分の乳児期の乳離れにアイディアを得た。
(母親は僕の乳離れのために、乳首にトウガラシを塗ったらしい。)

ヘビースモーカーならぬ、ベビースモーカーの誕生である。
成功は間違いない。

(2004.2.12[Thu])

選択と集中

昨日、例のお坊様&そのご同友とお話をした際に頻繁に「選択と集中」という
言葉が飛び交った。
要は「可能性があるところに的を絞って、一気に攻めろ」ということらしい。
なるほど。このご時世、現代の企業はこの選択と集中に躍起なわけだ。

しかし、それは企業だけではなく、自分の生活においても正しい
のではあるまいか、と布団中で夢見心地ながら確信し、
「では、今日使うべき1000円、これをいかに選択して集中すべきか」
と悶々と悩んだ。

しかし僕の出費といえば、本日は食費、風呂代、その他暇つぶしの為にかかる諸費用
のみである。

まず、選択肢が少ない。
では、何を削るか?
僕の最近の生活で、大きな敵は、暇である。
なので、この「暇」に重点を置き、風呂と飯は選択肢から外すことにした。よし、選択。

ただ風呂は入らなくても良いが、、飯は食わねば飢える。
飢えるのは嫌なので、これは最低限に留めるのである。
これぞ集中。

まず、3時頃に遅すぎるブランチを松屋の「からあげ定食(小)」
で290円也。安い。
その他、無駄なコーヒータバコ代を廃し、大きく経費削減である。
そして、浮いた小銭をブックオフという黄色い古本屋で
書籍購入という投資に当てることと相成った。

購入した本は以下(ほぼ全て100円)
「ベンチャー 我倒産す」板倉雄一郎
「退職・転職・失業生活 実践マニュアル」北村庄吾
「水に似た感情」中島らも
「音楽業界 全就職ガイド」成美堂出版

何とも実りのなさそうな投資である。
そもそも100円の「音楽業界 全就職ガイド」などを買ったところで
何も音楽業界のことなど分かるわけもない。
「退職・転職・失業生活 実践マニュアル」に至っては、もう既に
立派に無職を実践している男が読むのだから、無意味甚だしい。
それより空腹だ。
チョコラBBを飲んで空腹を紛らわしている。

「集中と選択」も場合によりけりだな、と思った。

(2004.2.11[Wed])

meet 坊主

今日は起きたら4時だった。
もはや驚かないが、やはり落ち込む。
友人の置いていったコンビニのサンドイッチを食いながら
今日は神谷町のお坊さんに会いに行って懺悔してこよう
、と思い立った。

東大卒で新卒で僧侶になった松本氏はやたらと好青年で
おしゃれな坊主だった。
今後もっと交流を深めたい。
また、そのお友達たちとお酒を飲んだ。
皆気の良い人たちで気持ちの良い一時が過ごせた。

やはりこれからはレーベルより仏教だな、と思った次第である。

(2004.2.9[Mon])

ロックじゃねえ、卓球だ

幼少の頃、プロのテーブルテニスプレイヤーになりたかった。

そもそも僕の祖父は戦前、卓球推薦で日本軍の幹部になった男で、
父も東京五輪にも出場するかしないかの名プレイヤーだった。
僕は幸いにして体格にも恵まれ、地域の大会ではグランプリを総なめにし、中学入学の頃にはジャパンユースに混ざって練習を
していた。

しかし、忘れもしない15歳の誕生日の夜、厳格な祖父から突然
こう申し渡された。
「ヒロキよ、お前はこのまま行けば大変な名プレイヤーになれる。
しかし、それ以上の高みには登れまい。今一度、自分のフォーム
を叩き潰し、そして基本から再構築するのだ。」

当時、日本における卓球界の頂点に君臨する祖父の言葉は深く
僕の胸に刻み付けられた。

その夜から、僕の猛特訓が始まった。基礎体力作りから学術的な
卓球論、そして食事、睡眠などの生活面まですべてを一新し、
僕は祖父に、父に追いつけるように血の汗を流したのだった。

しかし、悲劇はいつでも突然起こる。
僕は僕自身のある事実によって、卓球における夢も希望も失ってしまうのであった。

それは何か?
ラケットである。

僕の追及するテーブルテニスには、流線型で硬質な木で作られた
ラケットが必要だった。
流体力学上から見た、僕にとっての最高のラケット、
それは普通のラケットより小ぶりで、かつ厚みはそのまま。
ラバーは張らずにつや消しのニスで仕上げ、重心を微調整する金具が付いていることが理想だった。
諸国を放浪し、策に策を重ねたが、結局僕のしなやかな上腕の
動きを見事に伝えきれるラケット、これが見つからなかったのである。


そして、僕は卓球を封印した。
いつか、自分の理想のラケットが見つかるまで・・・。



それ以来、僕は卓球の代わりにロックバンドを始めた。
kill the poltergeist urban security(ラテン語で「卓球に見たはるかなる夢」の意)
という名前で、主にピンポン・ロックを追求している。

そして、昨日のライブ。
僕は1曲目「バックハンド」から5曲目「ラリー・オン・ザ・ネット」まで、
酷い不調であった。とにかくギターの音が作れない。
そして、最終曲「ノー・モア・バウンド」では、ストラップがはずれ
シールドが抜け、最悪の状態にまで陥った。
ギブソンという三流ブランドのギターを使っていたのが悪かった
のもあるが、完全に僕は箍が外れ、気づけばギターを叩き壊していたのである。

そして次の瞬間、殴られたようなショックを受けたのは、
ギターが惜しいというなどの次元の問題ではなかった。

ヤツに出会ってしまったのだ。
僕の求めて止まなかった幻のラケット。

壊れたギターのヘッドの形こそが、僕の求めていたシェイプだったのである。
呼び起こされたのはそう、それは失っていたはずの卓球への情熱。

「そうか、じいちゃんの言った「自分のフォームを叩き潰す」というのは、
こういうことだったのか。
僕は今までなんと浅はかだったのだろう。
じいちゃん、ありがとう。」


新しいラケットとそのフォームが写真がそれである。

これからは、あくまで仮の「バンドマン」の仮面を脱ぎ
晴れて卓球界の頂点を目指そうと思う。

2004.2.8[Sun]

┃ 副社長

〜こちらの日記を楽しみにしている型へのお詫び〜
WEB更新上のトラブルにつき、今まであったミカミ日記データが
すべて吹き飛びました。

よっていままでの日記が見られません。
大変申し訳ありません。

inutic records副社長:
鈴木克彦

2004.2.7[Sat]

実家では食わされまくり。俺はトリュフのブタかっつーの。

先ほど、実家から帰ってきた。
とにかく、母親が何かにつけてモノを食わそうとするので心底辟易した。

本日は転居届けの為に宇都宮市役所に赴いたのであるが、
つなぎ(ジャンプスーツ)を着ていったら、住所不定無職扱いで
おいおい、この俺様に於かれましては、先日まで会社の歯車として
立派に社会に貢献してきたのだ、と一人呟いては、国民健康保険と
失業手当ての手続きをしてきた。

荻窪にリュックサック2個とギターを担いで、
つなぎの上からコートを着て帰ってきた。
「池田の猪買い」という落語の主人公のようだ。

そして、この3畳間の寂しいこと寂しいこと。
思わずランキンタクシーの真似をしてテンションを上げようとしたが
敢え無く失敗に終わった。
彼もただのサングラス2個掛けてるだけのおっさんではないらしい。偉大さ痛感。

そういえば、荻窪に住みだしてから、やっと和式トイレでまともに
用が足せるようになった。
すなわち、今までのように下半身をすべて脱がなくても
器用に足元までズボンを下げて、諸々の手続きが踏めるようになった。
これを進化と呼ばずに何と呼ぼう。
しかし、和式で用を足しつつ毎回思うが、
「和式で脱糞の姿勢」が最も人体がコンパクトになる瞬間ではないだろうか?
そのままスーツケースに入りそうな気がする。

明日は、お笑いイベントのミーティングがある。

(2004.2.4[Wed])

実家がごみの山だ

宇都宮の実家に帰ってきたが、絶対に東京より寒い。
駅を出て寒くて笑った。

帰宅してから、今まで荷物を片付けていたが、ごみの山だ。
母親が会うたびに愚痴るのも分かるような気がする。

片付けるのも飽きたので、以前オークションで入手した12弦ギターに
弦を張ってみた。12弦ギターは12本も弦があるので、チューニングが
嫌いな僕はヒステリー寸前であったが、なんとか成し遂げ、それから
ちょろちょろとそれを弾いて遊んでいた。
何を弾いてもバーズの「霧の8マイル」みたいになるから面白い。

10時過ぎに鈴木副社長から電話があり、家に寄ろうか寄るまいか、悩んでいるようだったが、結局寄らなかった。
多分、僕の母親が会うたびに「鈴木君、太ったわねぇ」と言われるのが
嫌なのだと思う。ごめん、鈴木。
ちなみに、鈴木は髪の毛を切ったようだ。
なんだか、明治の文豪みたいだ。(写真)

夜中3時過ぎ、お腹が減ったので、冷凍庫を空けたら
冷凍した紅白饅頭が2個、続けざまに僕の頭に落ちてきて、コツ、コツ
と脳天に当たった。思わず「あ、いたい」と言った。
言った後に後悔した。

掃除をしていたせいか、鼻をほじったら沢山鼻くそが出てきて
それも後悔した。

以上、社長の一日。

(2004.2.3[Tue])

午後4時の憂鬱

早起きが偉いってのは、一体誰が決めたんだ!
と一人憤慨してみても、時計の針は16;40を指していて
途方にくれた25歳猿面の男が一人、3畳間に座しておるのである。
起きてすぐに「ああ、自堕落ってのは意味の通り、自ら堕ちていくのだなぁ。
しかも、2度も落ちるのか。自ら堕ちて落ちて・・自堕落。
ああ。」などと考えを廻らせ、せめて献血でもしてから死のうとか思った。

本日は記念すべき僕の無職1日目であり、1年で言うなら元旦、
曲で言うならイントロ、落語で言うなら枕話、という非常に
重要な日である。この日がきっちり過ごせないと、僕の未来は危うい。

それに、一昨日前から折につけ「僕は頑張ります」と宣言していたのに、この体たらくである。不覚極まりない。

ちなみに、荻窪のPCを新しくして、なんとディスプレイにカメラが付いている。
早速1枚撮ってみたが、放送コードすれすれの絵だ。
風呂に入っていない無職の男@3畳間。
めくるめく不覚の世界。
ちなみに髪型は寝癖ではなく、キュアーの真似である。ここだけは譲れない。

(2004.2.2[Mon])

中央線人身事故

中央線に乗っていたら、阿佐ヶ谷で人身事故があったらしく、高円寺で止まってしまった。かれこれ20分経つが、まったく動く気配がない。

正面に座ってる小学生の二人組は、片方が茶髪でもう片方はワックスで頭を立てていて、二人とも小学生だとは思えない。
来ている服も親の趣味だろうか、DCブランドのいい物みたいだ。
そして、どうやら2人とも音楽の英才教育(多分エレクトーン)を受けているのか、
「F7noブルーノートスケール」だの、「両足でのリズムの取り方」だのの話をしていて、
全く最近の餓鬼はいけすかねぇぜ、と思って見ていた。

しかし数分後、話は一転し、茶髪が手でカエルを作り、もう一人の方の
肩に噛み付きはじめた。
やっぱり子供はこうあるべきだなぁ、と思ったが、
25になってもすぐ手でキツネを作る我が社の副社長氏を思い出し、
またもや不安になった。

ちなみに劇場版「ドラえもん」は今年25周年らしい。
ドラえもんには耳がついていた。
だからどうっつーわけでもないけど。

2004.2.1[Sun]

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