┃ Label Master's Diary
2011年01月の日記
┃ 静電気
静電気の季節である。
僕はそういう体質なのか、最近何をしてもバチバチいう。
ちょっと嫌になる頻度だ。
「セーターを脱ぐ時」とか、そういうのは予想できるから良いのだけど、
「冷蔵庫を開けようとして、取っ手に触れた時」とか、
そういうのは勘弁してほしい。
大体そういう時は油断している。
さっきなど、コップを机に置いたらバチッときた。
そういうの、やめてもらいたい。
バチバチ、困る。
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バチバチで思い出したが、昔「パチパチ」という雑誌があった。
「雑誌があった」と書いたのは、もう既にないだろうと思ったのだが、
今検索したら、なんとまだやっているみたいだ。
http://patipati.musicnet.co.jp/
ちょっとビックリした。
で、「パチパチ」は「バンドやろうぜ」と並んで、アマチュアバンドの雑誌で、
とにかくバンドに憧れる中高生に人気だった。
僕も、この辺の雑誌を立ち読みしては、ぼんやりと自分がステージに立つことを
想像して興奮していた。
この辺、誰しも記憶にあるんじゃなかろうか。
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「パチパチ」と並行して思い出すのは、僕のバンド小説バイブルである「青春デンデケデケデケ」である。
「青春デンデケデケデケ」は、僕が小学校の時に直木賞をとった作品で、
田舎の高校生がバンドを始める、という青春モノの小説である。
大林宣彦が監督で映画化されて、なぜか浅野忠信なんかも出ていたりする。
映画は野暮ったさが良く出ていて悪くないのだが、やっぱり原作が圧倒的に良い。
これを小学校高学年(もしくは中学生だったかも)の時に読んで、
衝撃を受けた。
自分もすぐにバンドをやらなければ、と思った僕は、すぐに友人の丘君にその話をした。
「俺、バンドやりたいんだよね」
「なんで?」
「本を読んだから」
「どんな本?パチパチ?」
このやり取り、はっきり覚えているのだが、当時丘君はパチパチを読んでいたのだろう。
僕はまだ「パチパチ」を恥ずかしくて買えなかったので、丘君が大人びて見えた。
そして、「青春デンデケデケデケという本だよ」とは、その時結局言えなかった。
まあ、そんなこんなで今、結局丘君とバンドをやれているのは
面白い偶然である。
バンドをやっている大人、やめた大人、みんなに読んで欲しい本である。
「青春デンデケデケデケ」では、主人公はとにかく「エレキ」にこだわっていて、
ラジオからロックをはじめて聞いたとき、「電気的啓示を受けた」と書いてあった。
静電気とは雲泥の差だ。
静電気、なくなればいいのに。
アデュー
(2011.1.28[Fri])
┃ コミュニケーションとは
昨日、同居人と2時間余り「ネットにおけるコミュニケーション」について議論した。
(我々はそんな気持ち悪いカップルである)
というのも、先日の「ソーシャルネットワーク」のFacebookもそうだが、
最近「ソーシャル」という名目で、「とりあえず人と人を結びつけよう」
という流れがネット業界で顕著なのである。
ネットのコミュニケーションというと、今だとTwitter、Facebook、モバゲー、Gree、
ちょっと前だとmixi、掲示板とか、そんなのが思い浮かぶ。
もちろん、メールもそうだし、メッセンジャー、Skypeなどもそうである。
では、なぜこれを僕らが使うのか、というと、結局有り体にいえば「下心」なのだ。
もちろん、全部がそうではないかもしれないが、上記のサービスが一気に広がったのは、
これらが「出会いの要素」を含んでいるからに他ならない。
しかし、この「出会い」というのは、不文律である。
つまり誰もおおっぴらに「Twitterで出会ってヤれるぞ」とは言わないのだ。
これが一つ、たちが悪いところである。
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同居人はこれをひどく危惧していた。
しかし、僕は「別にそれでいいんじゃないか」と思う。
もちろん、最近はモバゲーで未成年が食い物にされたりするらしいので、
これは良くないと思うが、たとえば成人を迎えた男女が
フェアな立場で交流できるのであれば、これ以上便利なものはない。
昔、何かの本に書いてあったが、
「ネットが変化しても人間の本質は変わらない。
ネット上でだけ皆が高尚になるわけがない。」
というのを見て、そうだよな、と思った。
ネットはツールにすぎなくて、それ自体は使い方次第なのだ。
そして、どんなことでも、突き詰めていくと動機はいくつかに限られていて、
「出会いが欲しい」「お金が欲しい」「便利で楽をしたい」「プライド/自己欲求を満たしたい」「暇をつぶしたい」など
とロクなものじゃない。
ためしに、自分のブックマークを片っ端から見ていくと分かる。
上記以外の動機で使っているサイトやWEBサービスはない、ということが分かるはずだ。
結局、人間そんなもんなのである。
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「ソーシャルネットワーク」の最後のシーン、
主人公のザッカーバーグが、ふられた元彼女にFacebookで友人の申請をして、
ずっとF5キーでリロードしている場面は、とても象徴的だった。
富も名誉も得て、世界で注目を浴びている男が、なぜそんな行動をとるのか。
人間というのは、意外にプリミティブなのだな、と改めて思った。
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また、この日記を書くことも「コミュニケーション」だと思っている。
それについては、改めて書きたい。
アデュー
(2011.1.27[Thu])
┃ ソーシャルネットワーク
先日、映画「ソーシャルネットワーク」を見に行った。
内容はとても面白かったのだが、映画館という場所をちょっと忘れていた。
アレは逃げ場がない。パニック障害持ちにはかなりつらかった。
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僕はあまり映画を見ないのだけど、それでも見ていて泣いてしまうことがある。
年々涙もろくなっており、どうにもダメである。
先日、「カールじいさんの空飛ぶ家」を見た。
ピクサーの新作である。
DVDで見たのだが、開始して20分で止めた。
同居人と共に大泣きしすぎて、それ以上見続けることができなかったのだ。
冒頭は回想シーンである。つまり、まだ物語は始まっていない。
涙もろいにもほどがある。
あと、最近だとこのPVを見るとウルウルくる。
年を取ると、太るだけでなく涙もろくもなるね。
アデュー
(2011.1.25[Tue])
┃ ダメな感じ
まあ、以前からずっとそうなのだけど、
とりわけ今週は色々なことがうまくいかないのである。
単純なミス、複雑なミス、ちょっと考えれば防げたミス、
よく練りこまれたミス、2時間コトコト煮込んだミス、青にこんがらがったミス、など
様々なミスが僕を襲った。
当然、凹むのである。
凹んじゃうのである。
おまけに、下痢をしたり、マスクをしているのに痰を吐いてしまったり、
自宅のガムシロップが切れたり、
細かいところまで低空飛行だった。
今ではあまり聞かなくなってしまったが、子供の頃さかんに「バイオリズム」という
言葉が巷に流れていて、
人間は周期的に良い時と悪い時を繰り返す、という。
そんなわけで、来週はいいことがあるといいな、と思う。
まあ、まだ水曜日だけど。
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それはそうと、facebookが元になった映画「ソーシャルネットワーク」が
映画館で公開されたそうだ。
これは久しぶりに映画館に行こうと思う。
試写会を見た友達曰く「ネット云々というよりヒューマンドラマ」らしい。
スポーツとか戦争とか、色々なテーマで映画が作られても、
結局描くことは「人間」ということなのだろう。
これは映画に限らず、音楽や小説も一緒かもしれない。
ただ、舞台が急成長したネットベンチャーの話、というのはやはり興味がある。
僕も経験があるのだけど、ベンチャーって始めた時はメチャメチャ楽しい。
大げさな話ではなく、寝食忘れて没頭できる。
素敵な仲間がいて、毎日アイディアがあふれていて、「今度はどういうふうにしようか」と考える。明日が待ち遠しい。
素晴らしい体験なのだ。
ただ、徐々に大きくなると、色々問題が出てくる。
この辺、きっとシンクロするんじゃないかと思う。
徐々に日和ってきている(ような気がする)僕のベンチャースピリッツも、奮い立つといいな、と思うのである。
アデュー
(2011.1.19[Wed])
┃ センター試験
今日はセンター試験だったそうだ。
今年は大雪で色々トラブルが起きたようで、ニュースで報道していたが、
大体センター試験の日というのは、毎年雪が降ったりするもので、
これも風物詩なんじゃないかと思う。
まあ、受験生は大変だろうと思うけど。
もう大学受験をしたのは10年以上も前だけど、
いくつかはっきり覚えていることがある。
僕は高校時代に、将来はロボットを作るか、ミュージシャンになろうと決めていたので、
「どんなに忙しくてもギターが弾きたいときは弾きたいだけ弾く」という
決まりを作り、逆にそれ以外のテレビ読書などの娯楽を一切絶って受験に望んだ。
(余談だが、「恋愛」という娯楽は僕の辞書にはなかった)
夜、勉強をしていると、疲れてくる。
そうすると、僕はアコギを抱えて近所の公園に行き、そこでギターを弾く。
当然、歌も歌う。
興が乗れば、ハーモニカも吹く。
そして、警察が来て職務質問を受ける。
そんなことが何度かあった。
毎回ポケットの中にタバコがないかを確認され「早く帰るように」
と促されてトボトボと帰るのだった。
また、当時僕はボブ・ディランに傾倒しており、いくつも弾き語りのオリジナル曲を作った。
それをカセットテープに取りためては、「おお、ベースメント・テープスみたいだ!」と
一人悦に入ったりした。
当時のテープはまだ実家にあると思うのだが、ちょっと怖くて聞けない。
誰かに聞かれていないことを祈るのみである。
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また、色々な娯楽を封じた僕にとって、唯一の息抜きはラジオだった。
当時、鈴木氏などとの間で、FMを聞くことが流行っており、
「ミュージックスクエア」とか「ミッドナイトロックシティ」とか
「赤坂泰彦のミリオンナイツ」などを
聞いては、当時のJポップを覚えたりした。
当時は音楽の黄金期で、ミリオンセラーがバンバン出ていた。
ラジオでもB'zやミスチルなどがガンガン掛かり、
その中でちょこちょこOASISやBECKなんかも知り、とてもイイ時代だった。
まだ「エアチェック」という言葉が残っており、深夜遅いラジオは
テープに録音して翌日聞く。
夜中にステレオから「ガチャ」という音がして、ラジオの録音が始まるのは、
何とも言えない気持ちになった。
なんだか色々紆余曲折して、当時からは想像もつかないところに
来てしまったが、
当時もあまり何も考えていなかったように思うので、
人生って大概こんなもんなのかな、と思う32歳である。
太っているのはなんとかしたいけども。
アデュー
(2011.1.17[Mon])
┃ 短くて済む
Twitterを始めた時にも感じたけど、用件って概ね140字くらいで済むのであって、
そうすると、この日記を書く意味もなくなってくる。
世の中で一番短い手紙、というのを子供の頃に読んだ気がする。
たしか、海外の作家が出版社に「?」と手紙を送ったら、「!」と返ってきた、というものである。
「?」は、「本の売れ行きはどうか?」
で
「!」は「とても良い!」
という意味だそうだ。
そんな以心伝心ってあるんだろうか。
*今調べたらビクトル・ユーゴーだった。
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それにしてもTwitterは奥が深い。
今日もTwitterで知り合った人とお茶を飲んだ。
色々あるもんだな。
ちなみに帰路、山手線で久々に具合が悪くなり、
渋谷駅のホームにて、水の自販機を求めて
「水・・・みず・・・」と呟きながら歩く羽目になった。
アデュー
(2011.1.14[Fri])
┃ ヤンキー
歯が痛い。
歯が痛いけど、歯医者には行きたくない。
歯医者は怖いのだ。
そんなに怖いところになぜ行かなきゃならないのか、と思う。
行かなくてもいいんじゃないか、とも思う。
そもそも、「怖い」ってなんだろう、と思う。
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僕の育った、80年代から90年代の宇都宮にはまだかろうじて「ヤンキー」がいた。
短ラン、ボンタンという改造制服を着て、放課後ゲーセンなどにたむろする若者たちである。
今思えば、背伸びしてタバコを吸ったりカツアゲをしたりとかわいいものだが、
当時は本当に怖くて仕方なかった。
ある日、友人と宇都宮の繁華街であるオリオン通りを歩いていると、
友人の先輩に出くわした。
この友人というのが、半分ヤンキー半分優等生みたいなヤツだった。
で、この「友人の先輩」がヤンキーなわけである。
友人「あ、●●さん。ちーっす」
先輩「おお、○○か」
という感じで、話しこんでいたのだが、その先輩が何やら小ぶりのバッグを抱えていた。
黒くて、習字の道具入れみたいな箱に取っ手が付いているものである。
友人「●●さん、その箱、なんすか?」
先輩「おお、これか。これはヌンチャクだ」
というわけで、先輩は昼間からヌンチャクを持って大通りを歩いていたわけである。
その時、心底「ヤンキーってやっぱ怖いな」と思ったものだ。
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そんなわけで、中学生がヤンキーを怖がるように、僕は歯医者が怖い。
行かなくてもいいんじゃないか、と思う。
アデュー
(2011.1.13[Thu])
┃ 色々な人がいる
この歳になると、色々な人がいる。
ある年齢までは、横並びで一緒だったのに、この年齢になって気付くと
同じような人生を歩んでいる人というのはかなり少なくなってくる。
結婚する人/しない人、会社を続ける人/やめる人、家を買う人/買わない人、仕事ができる人/できない人、勉強する人/しない人、
要領がいい人/悪い人、運がいい人/悪い人、やる気がある人/ない人、さまざまである。
ただ、僕らは義務教育が終わってもしばらく、同じように横並びの人がいたので、
ふとした時にこれを忘れてしまう。
なので、周りをうかがったり誰かと合わせようとしたりしてしまう。
ただ、同じ人生をあるむ人というのはいないのだ。
昔なら、同じ学校を卒業して同じ会社に勤めて、と少しは似たような境遇の人もいたんだろうが、
今はそうではない。
だからこそ、人生には確かな指標が必要だ。
迷いやすい我々は、何か揺るぎないものが必要なのだ。
今、僕の道しるべ、それは「チョコバット」である。
チョコバットはうまい。
それだけが真実である。
アデュー
(2011.1.12[Wed])
┃ 寒い
寒い。
日々寒い。
寒いと体調が悪くなるので、もう暖かくなって欲しい。
今日もバスに乗る際、バス停で死にかけた。
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先日より体重がやばいことになっているので、寝る前に腹筋を始めた。
方法は関根君に教わった「寝転がって、膝と腰をそれぞれ90度に挙げた状態で15回を3セット」というヤツである。
そして、めっぽうつらい割には、全く体重が落ちない。
まあ、まだ3日目なんだけども。
痩せたいなぁ。
まさか太るとは思わなかった、僕の人生。
アデュー
(2011.1.11[Tue])
┃ mochi eater
困ったことになった。
太ってしまったのである。
お正月、やれ餅だやれお菓子だと食いまくっていたら、人生で一番重くなってしまった。
過去最高のでぶ状態である。
EightBeaterならぬMochiEater(It's a Japanese style)と化した僕は
それでもおもちを食い続け、でぶまっしぐらなのである。
--
さて、それはさておき、僕はビニールの小袋などを開けるときに
妙な癖があって、それは切り口を極端に細くしてしまうのである。
たとえばカップラーメンのスープが入っている小袋などはバッと開けて
中を出せばよいものを、端っこをちょっとだけ切ってチョロチョロ出したりする。
これは効率は悪いし、意味はないし、なぜこんな癖があるのか、と思っていたら
先程お風呂に入っていて思い出した。
発端は「給食のジャム」なのだ。
小学校の頃、給食ではご飯は週2回と決まっており、その他の日はパン食だった。
パンには必ずバターやらイチゴジャムやらチョコレートジャムの小袋が付いてくる。
そして、これの端っこをちぎってチョロチョロとパンに出して食べるのが好きだったのだ。
また、時には細く切った切り口から出したジャムでパンに絵を描いて遊んだりもした。
これがビニール小袋原体験である。
そのささやかな楽しさを体が覚えてしまっているのだろう、
僕は未だに癖でビニールの小袋の端っこを小さくちぎってしまう。
おかしなことだ。
よく「無くて七癖」などといって、人は誰でも妙な癖があるものだが、
きっとこのように突きとめていけば何か原因があるのだと思う。
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なお、目下太っている原因は明らかで、「おもちの食いすぎ」である。
Mochi Eater It's a Japanese style!
アデュー
(2011.1.8[Sat])
┃ 餅ライフ
年が明けてから
・おもちを焼く
・のりを巻く
・食べる
のルーチンワークに身を落している僕であるからして、
さすがにおもちは飽きてきた。
餅ベーションも下がってきている。
そんなわけで、おもちの良い食べ方、誰か教えてください。
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最近、とても面白いブログを見つけた。
特殊清掃「戦う男たち」
http://blog.goo.ne.jp/clean110/
特殊清掃、すなわち、独居老人や自殺など死後時間が経過して
汚れてしまった部屋などを清掃する人のブログなのだが、
これがとても面白い。
もちろん、ただ単に「特殊な世界が興味深い」ということもあるのだが、
日々「死」に接している筆者の死への考え方、生への考え方がとても面白い。
興味があったら読んでみてください。
さて、おもちを焼く作業に戻ります。
アデュー
(2011.1.7[Fri])
┃ 健康
今年の個人的な目標は、ズバリ「健康」である。
ご存知の方も多いと思うが、僕は不健康を絵に書いたような人間なのだ。
まず、歯が悪い。
虫歯がずっとある。親知らずも痛む。
また、煙草を吸う上に、以前気胸という「肺に穴が開く病気」になったことがある。
これは放置してある。
さらに風邪をひきやすく、年に3,4回は必ず風邪になる。
でもって、パニック障害という持病もある。
これはひどいと駅で倒れたりする。(最近はないけど)
さらに最近、視力が大きく落ちた。
テレビが見えなかったりする。
その上、便秘かつ頻尿、ダメ押しで肥満である。
もうこれはやばいと思うのだ。
この10年、健康なんてクソ食らえってな勢いで生きてきたが、
僕ももう32歳である。
歯医者の予約を飛ばしたり、会社の健診を無視したりするのは
僕くらいじゃないか。
そろそろ危機感を感じたのだ。
なので、まずは歯医者と目医者に行く。
さらに、タバコをやめる。
でもって、何か運動を始める。
こういう感じで、ちょっと頑張っていこうと思うのだ。
僕はタバコが大好きで、愛していると言っても過言ではないのだが、
そろそろ色々捨てていかねばならない。
やれる見込みは薄い(まず歯医者が)が、できるだけ
前向きに頑張ってみようと思う。
健康!
アデュー
(2011.1.4[Tue])
┃ 2011年
2011年になりました。
ありましておめでとうございます。
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さて、毎年ここで年始にレーベルの目標を書いているのだが、
一向に達成したためしがない。
ある年は「CDを出す」といって出さなかったし、「イベントに回帰する」といって
一度イベントをやっただけ、という体たらくもあった。
これは良くない。
なので、今年は「何もしない」ということを目標にしようと思う。
驚きの無目標。
明日のジョー的に言うならば、両手ぶらり目標である。
まあ、もし仮に何かのはずみで軌跡が重なって時空がゆがんだ結果、
このレーベルが動きがある(何かするとか)とすれば、目標とは反するが結果的には良いことだし、
予定通り何もなくても、これは「目標達成」ということになる。
良いことしか起きない仕組みである。
そんなわけで、今年もよろしくお願いします。
アデュー
(2011.1.2[Sun])