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┃ Label Master's Diary

2011年03月の日記

┃ 春なのに

もうすぐ4月である。早い。
特に3月の後半早かった。
もちろん、地震の影響である。

4月と言えば、徐々に暖かくなり、比例して僕の調子も良くなってくる頃である。
何かしたい。

それにしても、原発はどうなるのだろうか。

Twitterを見ていても、識者すら「安全だ」という人と「ヤバい」という人がいて、
正直分からない。

これは僕が門外漢なのもあるが、実際のところ、実は誰もよくわからないんじゃないか。

日々情報が錯綜して困ったことである。

あと、東電さんには今回ほどがっかりしたことはない。
副社長何人いるんだよ。

アデュー

(2011.3.28[Mon])

┃ 帰るところ

僕の祖父は、いわゆる「満州引き揚げ組」で、終戦時に幼子の父を抱えて
祖母と共に着の身着のままで日本に帰ってきたらしい。

彼らには行くあてもなく、都内を転々として暮らした、と聞いた。
父が大学を出る頃、祖父の興していた事業が悪化し、その頃は
数か月ごとに夜逃げをしていたそうである。

そんなわけであるから、父は人一倍「帰る家」にこだわっているようである。

というのも、僕の実家は宇都宮にあり、それは父が建てた家であるのだが、
その家には誰も住んでいない。

両親は、祖父のあとを継いで箱根に住んでいるし、弟は実家の近所に
ワンルームを借りて暮らしている。
僕は東京である。

空き家であるのは勿体ない事なので、何度も父に「人に貸してしまうか、いっそ売却してはどうか」と進言したのだが、
父は「あの家はお前たちが帰るところだから」と、一向に聞かない。

僕は仕事の都合上、十中八九宇都宮に帰ることはない。
弟も同じような気持ちだろう。

ずっと無駄なことだと思っていた。

--
しかし、最近の震災から原発事故至る最近の世の中の状況から考えると、父の言うことも少しわかる気がするのだ。

なぜなら、僕はきっと心の片隅で「東京がダメでも、いざとなれば実家に帰ればいいか」と考えているのだ。

いや、そんなことはきっとない。
絶対にないと言ってもいい。

しかし、「いざとなれば帰る家がある」というのは、心強いものだ。

彼らが終戦という有事の際、「帰る家」がなかったことはとても心細いことだったと思う。

頼る親戚もいない。
食べ物もロクにない。
情報だってない。

そんな時、何度も「どこに行けばいいんだ」と悩んだんだのだろう。

--
父は年々暴走するので、もう最近考えていることが良くわからなくなってきていたのだが、
やはり年の功だろうか。

なるほど、と思ったと同時に、「帰る家」を与えてくれた両親に少し感謝した次第である。

アデュー

(2011.3.24[Thu])

┃ ユニバーサルデザイン

自然災害の恐ろしさを心底感じると共に、
「人間って結構やさしいものだな、捨てたもんでもないな」とも思う今日この頃である。

被災地から遠い東京でも、みんな自分なりに動いている。
みんな優しいのである。

で、優しいと言えば、世の中には「ユニバーサルデザイン」というものがあって、
これはめっぽう優しい。

どのくらい優しいかといえば、ユニバーサルデザイン曰く、
「国籍性別老若男女問わないですよ。迷わないですよ。」というくらい優しいのである。

ユニバーサルデザインというのは、wikipediaではこう書いてある。
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ユニバーサルデザイン(Universal Design、UDと略記することもある)とは、文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン)をいう。
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つまり、ユニバーサルデザインというのは、人間の優しさの極みでもあるわけである。

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さて、話は変わるが、僕はお風呂が嫌いである。
温泉ならまだしも、自宅のお風呂というのは面倒でしょうがない。
なので、いつもカラスの行水である。

そして、お風呂という儀式には、「髪を洗う」というイベントを漏れなく含んでおり、
僕はこの戦場のようなお風呂で、それをいの一番にやっつけることにしている。

お風呂では、眼鏡がない。おまけにぬくぬくしていて湯気もある。
早くこの場を出たい、と思い、
素早い速さでシャンプーやリンスを手に取るのであるが、
最近、面倒なことが起こる。

毎回、シャンプーのつもりで、リンスを取ってしまうのだ。

理由も明白である。
最近、同居人がシャンプーとリンスの位置を逆にしたからである。

僕は「入り口から奥がシャンプー、手前がリンス」と覚えているから、毎度間違える。

これは大変である。

シャンプーだと思って手に取ると、リンスだと、
これはがっかりする。
そのまま流すのも勿体ないから、リンスしてシャンプーして、再度またリンスしたりする。
これ、意味ないのである。

そして、最初のユニバーサルデザインに戻るのだけど、
シャンプーの容器とリンスの容器は紛らわしい。間違えやすい。
国籍性別老若男女、みんな間違えるから、ここでユニバーサルデザインの登場である。

なんと、ユニバーサルデザイン上、全てのシャンプーの容器には、ギザギザが付いているのだ。

もちろん、リンスのそれには付いていないから、メガネがなくて視界も悪い
お風呂でも間違えない。

すばらしき、ユニバーサルデザインなのだ。

しかし、僕レベルの風呂嫌いだと、もはや完全にお風呂では
意識が飛んでいるので、そんなギザギザには気付かない。

場所で覚えているのだ。

ギザギザの関係なく、「入り口から奥がシャンプー、その次がリンス」なのである。

なので、最近同居人がそれを逆にしたばっかりに、毎回リンスを手に取ってしまう。

困ったことだ。
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解決策はある。
また位置を戻せばよいのだ。

しかし、毎度「俺がまた位置を逆に直しておこう」と思うのだけど、
「もしかして今度は同居人が同じ苦を味わうのではないか」と思い、やめてしまう。

やっぱり人間、優しいのである。

捨てたもんじゃないな、と思う。

アデュー

(2011.3.21[Mon])

┃ 余震続く

まだまだ余震が続く。
怖いことである。

同居人は自宅待機だったり、半ドンで帰ってきたりして、
なんだか大変そうだ。

コンビニではパンが売っていない。
僕はコンビニのパンを常食しているので、困る。

色々心配な今日この頃である。

早く事態が良くなると良いなぁと思う。

アデュー

(2011.3.18[Fri])

┃ 地震

また更新できなかった。

地震がありましたが、僕や周りの人は無事です。
自宅も皿や花瓶が割れたぐらいです。

それにしても、今回は本当にパニックだった。
色々体験してきたつもりだったけど、まだまだ未熟者だな、と痛感。

被災された方、亡くなった方、お祈りします。

アデュー

(2011.3.14[Mon])

┃ 春間近

いかん、この日記の更新は僕はライフワークのはずなのに、
全然更新していなかった。
まずい。毎日更新するぞ。

早いもので、もう3月も11日である。
そろそろ暖かくなってきて、別に花粉症ではないのだが、
鼻が詰まったり、目が痒かったりする。
困ったものだ。

僕は大体毎年この時期が体調が良くて、一番テンションが上がる時期である。
逆に言うと、この時期に何もできないと、その年は何もできない感じになる。

というわけで、何かしようと思う今日この頃。
まずは鈴木氏と「デザイン」を考えてみたいと思うのだ。

とはいえ、僕は別にデザインの勉強をしたわけでもないので、
主にデザインするのは鈴木氏である。

僕は横でダジャレを言ったりする係だ。

まずは、そのサイトを作るぞ!

アデュー

(2011.3.11[Fri])

┃ 申し訳ない

昨日の「食べ物の写真」の件、どうも僕がどうかしていたようで、
気にしないでください。

早速、大切な友人をなくしかけて、超慌てました。
本当にごめん!

日記自体は、もうこの際あえて残す。
自戒込めて。
--

でもって、文字だけのコミュニケーションって難しいな、と思った次第。

前職の上司に
「相手がメールで怒っていたら、絶対にメールで返さず、会いに行け」
と言われており、
それはあらためて至言だと思った。

面と向かったり、電話で声を聞いたりすると、すぐに誤解も解けるのだけど、
やっぱり文字だけだとニュアンスが伝わらない。

この辺、今一度出直してきます。

アデュー

2011.3.5[Sat]

┃ これ食べました

以下、書くことは、誰か特定の人をDISっているわけではない。

むしろ、皆のそれを純粋に僕は楽しんでいる。
別に、もっとやってくれてもいいくらいだと思う。

しかし、あるときから違和感を覚え、どんどんそれが強くなってきたので、今日はそれについて書いてみようと思う。

何度も言うが、誰かを対象に書いているのではなく、一般的な話として聞いてほしい。

--

で、何の話かというと、Twitterで「これ食べました」もしくは
「食べます」というポストについてである。

よく有名人のブログやTwitterでは「これを食べます」などと言って
おいしそうな料理の写真が掲載されている。

これを読んでいる人でブログかTwitterをやっていれば、そのような写真は、一度は目にしたことがあると思うし、
実際自分でそれをやったことがあると思う。
もちろん、僕も何度も経験がある。

で、見ている方も結構「あ、この人今日は何を食べるのかな?」という気持ちで
それを見てしまう。

しかし、これってなんだかすごく軽薄なことな気がするのだ。

とても違和感を感じるのである。
--
よく、テレビで芸能人が料理を食べる番組を見て
「食事は排せつと同じだ。あんなもの見せるな」という意見がある。

しかし、今回はそれとはちょっと違う。

僕は、僕の友達が何を食べているか、気になるし、その写真は
それを満たしてくれるのだから、イイと思う。害もないし。

でも、もし仮に違う手段でその人を知れるのであれば、
そちらの方がなお良いと思うのだ。

--
思うに、「食べ物を見せる」という行為は、
コミュニケーションとして、すごく幼稚な方法なのだと思う。

いや、幼稚と言うより「雑」なのである。

そこには何も思想がないし、意見がない。
「ああ、イイもの食ってるな」くらいの感想しかない。

それは果たして文明の利器を使ってまですることだろうか。

--
今日もTwitterで書いたが、人間というのはそうそう崇高なものではない。
マスコミがゴシップを持ってくれば、「趣味悪いなぁ」と言いながらも
見てしまうのが人間である。

この辺を「食べ物の写真」というのは突いている気がするのだ。

あるとき、それに気づいてから、僕は全く自分の食べたものを載せなくなった。
たとえ、おいしいものを食べて、「みんなに見せたいな」と思っても、ぐっと我慢する。

この辺の匙加減が、そろそろネット界でも養われていいのではないかと思う。

--
同居人は、食べ物の写真を撮るのが大好きだ。
別に止めはしない。

僕の友達についても同様である。
別にイイと思うし、僕はそれを見ている。楽しんでいる。

しかし、仮に自分の娘ができたら、こういった行為はやめさせようと思っている。

--

まあ、これは予言みたいなものだけど、「自分の食べ物の写真」は今後
ちょっとしたマナー違反になっていくのではないかと思う。

今のところ、そんなことを言っている人は聞いたことないが、なんとなく僕はそう思う。

それは、「おっさんが得意げにダジャレを言うのはちょっと…」くらいのレベルだと思うが、
同じことを感じている人は結構いるんじゃないかと思っている。

そんなわけで、誰に当てるでもなく、一般的な話であるから、
今後も皆さんは存分に写真を載せてください。
僕は見ています。

いや、マジで。

--
昔、どこかの食通が
「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるか言いあててみせよう。」
と、言ったらしい。

なるほど、と思う。

でも、もう少し違うやり方で、その人のことを知りたい、と思うのだ。


アデュー

(2011.3.4[Fri])

┃ 悩む悩む

人生に悩まない時期なんてないんじゃないかと思い始めた、もう3月である。

僕は色々深刻に考え過ぎてしまうのか、どうも「うー」となっている時が多い気がする。

お酒が飲めたらなぁと思うけども。

アデュー

(2011.3.2[Wed])

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