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┃ Label Master's Diary

2011年10月の日記

┃ ウィグルに完敗

昨日夜、植木屋っぽい髪型の僕は、新宿近くのレストランで絶句していた。

目の前には様々な料理が並んでいるのだが、食べることができないのだ。

お店は、ウィグル料理屋。メンバーは、友人の白井嬢と同居人である。

僕は悲しみを通り越して、無力感にさいなまれるぐらいだった。

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事の発端は、僕が白井嬢に電話したことから始まる。

やさしい白井嬢は、酔っぱらった僕の不明瞭な人生相談に乗ってくれ、
「では、近いうちに食事に行こう」というわけで、
昨日を迎えた。

お店は同居人が、セレクトしてくれた。

そこまでは問題なかった。
楽しい食事会になるはずだったのである。

しかし、僕は忘れていた。
僕は人一倍、偏食なのだった。

よく宴会前などに、「ミカミさん、食べられないものありますか?」と聞かれると
「子供が食べられないものは、僕も食べられないと思ってください」
という回答をしていたぐらい、いろいろ食べられない。

メジャーなところだと、野菜。
ピーマン、グリーンピース、セロリなど、その類いのものは食べられない。

あとチーズ全般、そしてビールも好きではない。
また、ピータンとかフォアグラなんてのも苦手である。

他にも挙げていくときりがないのだが、まあ大人だし、
最近は、一切食えないことはなく、逆にタイ料理などは嫌いだったのが、
ちょっと好きになったりしたぐらいなので、僕自身も自分が好き嫌いが多いことを忘れていたのだ。

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お店に入りメニューを見ると、珍しい料理が並んでいた。
ウィグル料理は、「中華っぽい感じだけど、ちょっとヨーロッパっぽい」という
不思議な感じで、かなり興味をひかれた。

その中から、シシケバブ、ミートパイ、パスタのようなもの、そして餃子を頼んだ。

お通しで、数種類の豆の盛り合わせが出てきたが、余裕だった。
(ちなみに豆は一切食えない)

次に、ミートパイが出てきて、一口食べて焦った。
かなりラム肉の匂いがした。
(ラム肉はあまり食えない)

頑張って一口飲み下すと、シシケバブ。
これはラムを焼いたもので、殆ど食えない。

次は中華風パスタ。
これもラムがかなり入っている。しかも、入っている野菜はピーマン。
(ピーマン食えない)

さらに出てきた餃子は、もろにラムで、これも一切いけない。

ということで、すべての料理が出てきた時点で、
僕が食えるのは、豆の盛り合わせに入っている小さなきゅうりの破片と、パスタに入っているキクラゲだけになった。

完敗であった。

その辺をチマチマつまみつつ、楽しく食事をしている二人を眺めていた。

僕はなんて罪深いのだろう。
この楽しい食事を。

ああ、消えてしまいたい。

そう思いながら、5mmぐらいのきゅうりをほじくり返しては食べていた。

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その後、やさしい同居人と白井ちゃんの計らいで、エクセルシオールコーヒーに連れて行ってもらい、
僕はそこでベーグルを2個食べた。

なんかしょっぱい味がしたのは、涙だったのかもしれない。

アデュー

(2011.10.31[Mon])

┃ ビジネススキル

学生時代からインディーズレーベル活動でCDやTシャツを売り始め、
院の時には、ヤフーオークションとアフィリエイトで生活していた商才あふれる俺であるので、
基本的に商売は上手なのである。

事業をやっていた祖父が「一生雇われのサラリーマンはダメだ。新しいことを見つけたらすぐにやれ。」
と、幼い僕に言い聞かせていただけあり、
まあ皆さまのおかげもあって、会社を辞めても何とか食っていけるわけである。
ありがたいことである。

しかし、そんな僕にも悩みがあり、
それは「情に流されやすい」ということだ。

よく、「ビジネスだし割り切って」みたいなことを言われるが、
どうもそれができない。
もちろん、不当な要求は飲めないのだが、なんか頼まれごとに弱く、
結果的に損をすることが多いのである。

でもって、よくよく考えると、これは男子高で培われた性格ではないかと思われ、
あの頃というのは、ドラマチックなことに憧れたものである。

つまり、仲たがいしても殴り合って仲直りするというような
あまり現実的でないことがちょこちょこあったりして、
その変な空気が未だに僕の周りに流れているような気がするのである。

よく人生の先輩たちは、「ビジネスは情ですよ」なんてことを言うが、
そんなことを言いながら、裏切ったり裏切られたりしているわけで、
なんだかピンとこないのであるが、
まあ、これも僕の人生、しょうがないのかな、と思っている。

そんなわけですので、皆さま、僕が断れないような条件の仕事は
持ってこないでください。
断れずにやってしまいます。

結果、今夜のように悩むことになります。

アデュー

(2011.10.27[Thu])

┃ 喫煙とは探すことと見つけたり

我々タバコ吸いにとって、いよいよ住みづらい世の中である。

喫煙者に優しかった喫茶店、ベローチェも最近分煙をはじめ、
異様に狭く煙い喫煙所を作り始めた。

世も末である。

でもって、我々喫煙者はいつも何かを探している。

街を歩いていて、タバコ吸いたいな、と思うと、まずタバコ屋を探す。
タバコ屋さんなんてあまりないので、ようやく自販機を見つけると、
愛用しているブランドがなかったりする。

なので、もう一台探して駅前をウロウロする。

ようやくタバコが手に入ると、今度はタバコが吸える店を探す。

喫茶店が一番イイのだが、最近は喫煙不可のところも多く、
喫煙できても満席だったりして、2軒3軒と巡ることも少なくない。

いよいよ、喫煙できるお店が見つかると、コーヒーを注文して、
途方に暮れる。

今度はライターがないのだ。

ポケットをまさぐっても出てこない。

カバンの中に一個ぐらい入っていないかと、ゴソゴソするが、たいてい出てこない。

しょうがないから、恥を忍んで隣の人に借りたり、お店に聞いてみたりする。

そしてようやく一服。
これがうまい。

しかし、果たして我々は幸せなのだろうか。

この一連の行動は、なんか人生に似ているな、と、ふと思ったの次第である。

何かを探しては、一喜一憂する。
そして、小さな成功を得ては少し満足する。

その繰り返しじゃないかと思うのだ。

アデュー

(2011.10.25[Tue])

┃ 続けることは大変だ

最近思うのだけど、「何かを続ける」ということは非常に難しい。

分かりやすいのが「バンド」で、結構この年になると
忙しさにかまけて活動が疎かになってくる。

メンバーで集まるのも難しいので、個人で練習に励めばいいのだろうけど、
それもおざなりになってしまい、
結果として「昔バンドやってた鬱陶しいおっさん」というのが出来上がる。

言い訳はたくさんあるのだ。

「忙しい、時間がない」
「昔ほど興味がない」
「お金が掛かる」

もっと行くと、僕のように

「いやぁ、才能がないことに気付いてしまってねぇ」

などと嘯くわけだが、これは良くない。

上記、全部いい訳である。

かっこ悪いことこの上ないのである。

--

で、中には稀に、ずっと音楽を続けている人もいて、これはかなりすごいことだ。

素直に尊敬する。

なんで僕にはできないのか、と自問するが、上記のように
言い訳ばかりだったことに気づく。

時間がなかろうが、もう興味がなかろうが、やらねばならないのだ。

一つ物事をやる、ということは、きっとそういうものなのである。

--

仕事にしても同様で、すぐに会社を辞める人がいる。

同様に言い訳はたくさんある。

「つまらない」
「きつい」
「スキルアップできない」

結果、何も成し遂げてこなかった、非常に幼い人間ができあがる。

これでは良くない。

やはり、仕事ができる人と言うのは、どこかで下積みを積んでいる。

僕などはそれをすっ飛ばそうとする傾向にある。
よくないのだ。

そんなわけで、一度決めたら何事もやり遂げる、ということの重要さが
この年になって非常に身にしみるのである。

--

僕が長く続けていることと言えば、このレーベルの日記と
同居人との交際ぐらいのものである。

せめて、この日記ぐらいずっと続けていこうと思った次第である。

あと、音楽活動。
これはやらねばならない。

さらにダイエット。
できれば頑張りたい。

あと、結婚もしたい。

誰か助けてください。

アデュー

(2011.10.19[Wed])

┃ 合理的

世の中、なんでも理にかなった考え方をするもんで、一般的にそれを指して「合理的だね」などと言うわけである。

まあ、誰でも痛いより痛くない方がいいし、損するより得する方がいいし、
殺されるより生き延びる方がいいわけだから、まあ当然と言っちゃ当然なわけだけども、
この合理的が行きすぎると、どうも息が詰まるというか、おかしなことになる。

でもって、話題はタバコなのだけども、合理的に考えると、
タバコなんて吸わないに限る。
健康に悪いし、お金もなくなるし。
最近じゃあイメージも良くない。

それで、「じゃあ合理的に」ということで、禁煙できるかというと、
そうではなくて、今でも喫煙率は20%を超えており、
この人々は僕も含めて合理的でない人々である。

さらに、喫煙する中でも合理非合理があって、それは「カートン買い」なのである。

カートン買いというのは、タバコのまとめ買いのことで、1カートン=10箱という単位でタバコ屋さんやコンビニ屋さんで売っている。

タバコというのは、きらすと「口寂しい、なんか物足りない、めまいがする、吐き気がする、気が狂う」などの
副作用があり、タバコ吸いにとって、タバコが切れるのは怖いことなのである。

だったらまとめ買いすればいいじゃん、合理的じゃんということで、
カートン買いというものがあり、しかも大体の場合、
カートンで買うと100円ライターが1個付いてきて大変お得なのであるけれども、
大方の人はそれをしない。

僕はずっと(今でもたまに)カートン買いするのだけど、
「お前おっさんじゃないんだから」という目で見られる。

じゃあなぜカートン買いしないかと言うと、「一気にお金がなくなり、損した気になる」というのが強いのだ。

これは普通に考えると「どうせ使うお金」なわけであり、合理的でないのだけど、
どうしてもやっぱり抵抗がある。

それで、僕らは1個のタバコを求めて、夜中にジャージ姿でコンビニへ繰り出すのだ。

--

前置きが長くなったけども、喫煙という非合理の中にも合理非合理が絡み合っており、
まあざっくりいうと、人間そういう感じであるからして、
何事も合理的にばかり考えると良くない。

理詰めの論調は美しいのだけど、どうしても退屈なのである。

で、なぜこんなことを書くのかというと、
今現在、タバコが切れており、僕は発狂寸前であるわけである。

一番合理的に考えれば、タバコをやめるのが良かろう。

しかし、それはできない。

僕は朝起きて、顔も洗わずにドトールに行って、コーヒーを飲みながらタバコを吸うのが生きがいなのである。

じゃあ、二番目に合理的な「今回こそタバコをカートンで買ってこい」というのも
なかなかできない。
上記の「なんか損した気分」に加え、「このカートンの途中で何かの間違えで禁煙したら、勿体ない」とか
馬鹿馬鹿しいことを考えるからだ。

そんなわけで、非常に馬鹿馬鹿しい、合理的でない、半分狂っている、
人間として不出来である、ご先祖様に申し訳ない、
死にたい、と思いながら、コンビニに行ってきます。

アデュー

2011.10.15[Sat]

┃ ジャンク偏愛

うすうす感ずいていたのだけど、僕はキレイに作られた新品のものより、
ジャンクなものが好きなようである。

何をもって、モノを好きになるかは色々だと思うのだけど、
僕の中にはどうも「ジャンク度」というべき物差しがあって、
よくわからないことに、これが結構重要なウェイトを占めていたりするのだ。

たとえば、お気に入りの服や靴などは、どれもとてもジャンク度が高い。
フリマで100円で買ったスニーカー、というのが愛おしくて愛おしくてたまらない。
古着屋で購入した、袖が破れているパーカーというのが、かわいくて仕方がない。

一方、清水の舞台から飛び降りるつもりで、新宿伊勢丹などに出向いて
エイヤと購入したカバンなどは、一度だけ使ってなんだかそのまま使う気にならずに仕舞ってあったりする。

どうも、ジャンク度が高くないといけないのである。

僕がメインで使っているアコギはキャッツアイの70年代のギターだが、
これまたジャンク度が高い。

そもそも、これは先輩から譲り受けたのだけど、その時点でボルトが折れていた。
なので、エクストラライトの弦を貼って、だましだまし使っていたのだ。

そのうち、ステッカーをベタベタ貼りだしたり、マジックで落書きをしたりし始め、
いよいよジャンクもジャンク、ほとんどガラクタに成り果てたのだが、
どうもこれが気に入って仕方がない。

僕ももう大人なので、大枚をはたいてマーチンを買ってもイイのだけど、
きっと上記のカバンと同じ運命をたどるだろう。

なので、僕の周りには壊れたモノ、壊れかけたモノ、
破れたTシャツ、ほつれたジーンズ、動かないパソコン、古いスニカー、
壊れかけのレディオなどが転がっているわけである。

どうもこれは、やたら倹約家の母親の影響があるのではないかと思う。
この年までこれで来てしまったのでしょうがない。

ジャンクな人生を全うしようと思っている。

アデュー

(2011.10.11[Tue])

┃ 10月

毎度言っているようだが、もう10月である。
早い。
あと3カ月で今年も終わりである。

それはそうと、部屋が全く片付かない。

僕がはじめて一人暮らしをしたのが18歳の時だから、
かれこれ15年、色々なところを何度も転居している。

で、引っ越しも何度も経験しているので分かるのだが、
「引っ越し後の片づけは、最初の2週間が肝心」なのである。

というのも、新しい部屋でテンションが高いうちに片づけないと、
ずっと片付けずに行ってしまうからである。

この時期に段ボールのまま放置されると、最悪次の引っ越しまで
その箱を開けない、なんてことになる。

なので、気合を入れていたのだが。

無理だった。
荷物、多すぎた。

最初はいそいそと棚を買ったり、服を処分したりしていたのだが、
そのまま生活をはじめて、それが回り始めるとヤバい。

今、2部屋両方とも、部屋の真ん中に段ボールを数個積んだまま
生活をはじめてしまっている。

これだと、片付くのは相当先になりそうだ。

困ったことである。

誰か、片づけて欲しい。

アデュー

(2011.10.5[Wed])

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