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┃ Label Master's Diary

2011年11月の日記

┃ 性器の正規名称

どうも最近の日記を読み返すと、俺、気持ち悪い。

なんか、気持ち悪いサラリーマンの日記になっている。
これじゃいけない。

なので、本日は初心に戻って、日々考えていることなどを
ダダ漏れにしていこうと思う。

さて、本日のテーマは性器の呼び方についてである。

一般的に、男性器については「おちんちん」だの「ちんこ」だのと呼ぶ。
ちょっと硬い文章だと「ペニス」や「陰茎」と書いてあることもあるし、
おっさんだと「マラ」とか言ったりする。

しかし、これはどうも30歳男性にはしっくりこない。

いい年して「おちんちん」でもあるまいし、と思うのである。

--
さて、ここで僕らの偉大なwikipedia先生にお伺いを立てる。

(なかなか写真などが衝撃的なので、婦女子は見ることはお勧めしない)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E8%8C%8E

すると、ちゃんと項目がある。
引用すると、

--
陰茎の俗称
幼児語における俗称として「ちんちん」「ちんぼこ(ぼこちん)」「ちんこ」「ちんぽ」「ぽこちん(ちんぽこ)」がある(カタカナ書きすることもある)。
(中略)
その一方で成人男子の陰茎を指す隠語としては「マラ(摩羅)」「竿(肉竿)」「肉棒」などがある。
--

などと書いてある。

「竿」「肉棒」は言語道断として、「ちんちん」「ちんぼこ(ぼこちん)」「ちんこ」「ちんぽ」「ぽこちん(ちんぽこ)」、
これまた今一つなのである。

「ちんちん」というのは、まあイイ。僕もよく使う。
しかし、どうも幼さが抜けない。

「ちんぼこ」は「ぼこ」が硬いイメージで、怖い。NGである。

「ちんこ」は捨てがたいが、やや投げやりな印象がある。

「ちんぽ」まで来ると、「ぽ」がかわいいので、使うのは20歳までである。

ほら、どれもしっくりこないのだ。

--

しかし、僕はここであえて30代が恥ずかしくなく呼べる性器の呼称を決めておきたい。
これが豊かな30代を経て、立派な40代への足がかりになると思う。

結論から言おう。
30代の恥ずかしくない呼び方、それは

「おちんこ」

である。

もう一度言うと

「おちんこ」

である。

では、なぜ「おちんこ」か。

--
まず、上記のとおり、「ペニス」「陰茎」「マラ」「竿」「肉棒」はNGである。

理由は「なんかはずかしいから」である。

また、「ちんぽこ」「ちんぽ」もダメである。
30代の性器は、そんなにヤワではない。

で、やはり「ちんちん」「ちんこ」辺りが良いのだが、
先程書いたように、やや投げやりな印象がぬぐえない。

なんか、「どうでもいいや」という感じが言葉に出てしまっているのだ。

30歳男性にとって、性器は「どうでもいいもの」ではない。
そうに決まっている。

すると、どうすればよいか。

「お」を付けて、奉ればいいのである。

すなわち

「おちんこ」

これ、間違いない。

幼児性、神秘性を保ちつつ、程よく下世話で、良くかみしめると上品さも漂う。

それが「おちんこ」である。

--

そんなわけで、無事、おちんこの呼び方が決まった。
「おちんこ」である。

あとは女性器だが、これは次回に譲りたい。

良かったよかった。

ちなみに今、PCの予測変換が「おちんこ」を覚えてしまい、困惑している。

アデュー

(2011.11.23[Wed])

┃ Lily's Disneyland Surprise!

33歳にして、不覚にも涙した動画があったので紹介しようと思う。

これは「Lily's Disneyland Surprise!」という動画で、
リリーちゃんの誕生日に、両親が「ディズニーランドに連れて行ってあげるよ」と伝えたらリリーちゃんが嬉しくて大泣きしてしまった、
というものである。

リリーちゃんは、ママに誕生日プレゼントをもらう。
大きなバッグには、ディズニーの服やDVD、そしてお菓子なんかが入っている。
「なんで私の欲しいものが分かったの?」と嬉しそうなリリーちゃん。

そして、ママが「これをもってどこに行きたい?」と聞く。
「どこでもいいわよ」とママが言うと、「ディズニーランド!」と答えるリリーちゃん。
次の瞬間、「OK、行きましょう」「今からよ」とママが伝えると、
リリーちゃんはびっくりして嬉しくて
泣き出してしまう、という内容だ。



アクションがかわいらしい。
そして泣きだしちゃう瞬間、僕も思わず涙が出た。

ピュアさに心を打たれるのである。

--

で、思うに、やはり仕事や人生、そしてバンドやレーベル活動も
こうではならないと思うのだ。

思わず子供が泣き出してしまうディズニーランド。
素晴らしいと思う。

きっと従業員も嬉しいし誇らしいと思う。

「夢を与える」というのは、言葉で言うと簡単だけど、実践するのは難しい。
こうやって子供が泣き出してしまうぐらい、素敵な夢を提供するディズニーランドは、
とてもロマンチックだと思う。

やれモバゲーだグリーだと、子供相手に商売している輩に一度見せたい。
彼らは、本当に夢を提供しているだろうか。

そして、自分はどうか。

誰かに楽しいこと、嬉しいこと、感動することを提供できているだろうか。

ふと迷った時、この動画を見ようと思ったのだった。

アデュー

(2011.11.21[Mon])

┃ ドラにモノ申す

以前も書いたのだけど、僕は結構麻雀が好きである。

麻雀は「亡国の遊戯」などと言われ、とても面白く、かつ完成度が高いゲームなのだ。

高校時代から友人たちと卓を囲むようになり、受験前でもかなり遊んだ。

当時は、「きっと大学に入ったら麻雀で生活が荒れるだろうな」と思っていたのだが、
大学では案外麻雀を打てる人が少なく、その後はあまりやらなくなった。

しかし、2年前にiPhoneを買った際、まずはじめにダウンロードしたのが麻雀ゲームだった。

--

で、それを最近もチマチマ寝る前などにやりながら思うのだけど、
「ドラ」という制度、これはちょっとやりすぎじゃないかと思うのだ。

麻雀を知らない方のためにちょっと説明すると、麻雀はドンジャラと一緒で、
同じ柄を集めたり、連続する数字を集めて「役」を作る。

そして、やっぱり作りやすい「役」と作りにくい「役」があるのだけど、
それは「飜(はん)」というポイント制度になっていて、
難易度の高い役ほど、高得点になっているわけである。

(詳しく知りたい人はこの辺に載っている
 http://www.akadora.com/yaku/ )

でもって、さらに「親」と「子」というルールがあったり、変則的なルールも結構あるのだけど、
問題は「ドラ」である。

「ドラ」は、その回ごとに設定されるボーナス牌であり、それが役に含まれていると
問答無用で「1飜(1ポイント)」加点される。

この部分が、ギャンブル性を高めていて面白いのだけど、ちょっとやりすぎな部分である。

というのも、たとえばドラが3個含まれている場合には「3飜」となるのだけど、
この3飜を普通の役で出そうと思うと、かなり苦労する。

また、運がイイと「裏ドラ」(説明するのが面倒なので調べてください)が乗ると
たまに「6飜」とかになる時がある。

6飜というのは、どのくらいかというと、かなり難しい。
野球で言うと、ホームランを打つぐらい難しい。(安易なたとえ)

この辺が「ドラ、調子に乗りすぎ」と僕は思うのだ。

--

もちろん、ドラがないとひどく味気ないもので、
中にはドラを増やすために「赤牌」なんてモノを導入するローカルルールも
あるぐらいで、まあ、いいのだけど、ずるいよなぁ、と思うのである。

で、これは僕たちの生活においてもそうで、たとえば、どんなに努力しても、
まぐれのヤツとか、運のイイ奴、もしくは生まれた環境とか所属している環境に
あっさり負けてしまうことがある。

僕がコツコツ、ピンフ・タンヤオ・イーペーコーを作っているのに
横でドラ3を出されると気分が萎える。

ただ、「じゃあ結局、人生運次第かよ」と試合を投げてしまうのも良くない。

それでも僕らは戦わなければならないのだ。

その点で、ドラは人生を教えてくれるのかもしれない。

でも、ゲームの中ぐらい、フェアなルールで遊びたい、と思うのは僕だけだろうか。

--
ただ、自分に限っていれば「ドラがたくさんのる人生だといいなぁ」とも思う。

勝手なものである。

アデュー

2011.11.19[Sat]

┃ 33歳になった

本日は僕の誕生日なのだ。

今日で33歳になった。
早いものである。

来年は34歳、再来年は35歳だけど、思っていた30代と大幅に異なる結果になったことは残念である。

今年は、「健康になる」が目標で、歯医者に行くことと禁煙することを
掲げていたのだが、一向に達成しない。

何度も言うようだが、僕は歯医者が嫌いだし、タバコを吸うのが好きなのだ。
困ったことだ。

あと、漠然と思うのだけど、この年になると、政治経済などについて
もっと知見があるものかと思っていたのだが、
どうもそうでもないようである。

新聞やテレビ、時にはネットを見てみても、根本的なところが
分かっていないので、どうも不明瞭である。

今年はその辺を克服していきたい。

ついに目標がレーベルと全く関係ないことになったが、ご容赦頂きたいと思う次第であります。

アデュー

(2011.11.16[Wed])

┃ 東京が好き

混んでいる電車に乗っていたりすると「もういっそ、このままどこかに行ってしまおうか」という気分になる。

で、たまに車で宇都宮に帰ると、「やっぱりいいなぁ。またこの辺に住もうかな」と思う。

しかし、僕は一向に東京を動かない。

なぜだろうかというと、やっぱり東京が好きなんである。

僕は川越で生まれ、宇都宮に育ち、筑波、木更津、と地方都市を転々としてきたのだが、
「住めば都」とはいったもので、どこでも結構楽しかった。

宇都宮は子供時代にのびのびできたし、大学に入って免許を取って
車に乗り出すと、筑波はカリフォルニアのように思えた。

木更津は比較的つまらない街だったが、それでもなんとも陰鬱とした
街を結構楽しんでいた。

しかし、東京に住みだすと圧倒的に東京は楽しい街だ。

何より刺激が多い。
人が多い分、色々な人がいて、色々な出会いがある。
それが楽しいのである。

宇都宮に帰り、その日は本気でこっちに帰ってこようかと思うが、
翌日にはそんなこと思わなくなり、逆に「ああ、もうここには住めないな」とさえ思う。

やっぱり退屈なのである。

最近、ロードサイドカルチャーなどと言って、
あるんだかないんだかわからない地方都市の文化を成立させようという動きもある。

しかし、それは東京あってのもので、単体ではやはり成り立たない。
それは地方都市にずっと住んでいたから分かる。

地方に暮らすということは、僕にとっては「退屈を受け入れる」だけなのである。

よって、僕はもうしばらく東京にいると思う。
もしかしたら、死ぬまでいるかもしれない。

それはすなわち、まだ前向きに生きていける、ということなので、
良いことなんじゃなかろうか。

と、田舎モノの僕は思うんである。

アデュー

(2011.11.8[Tue])

子供はかわいい

僕のバンドの丘君に子供が生まれて、もう一年が経った。

丘Jrは順調にすくすく育っており、最近まで何をしているのか
皆目わからなかったのだが、最近は意思表示をするようになって
とてもかわいい。

僕は元々結構子供好きだけど、やっぱり1,2歳の子供というのは
見ていると自然に微笑んでしまうぐらいかわいいものである。

丘の息子N2Kは、最近は父のギターに合わせて踊る。

今日、それを見せてもらったのだが、もう泣きそうになるぐらいかわいいのであった。

子供って、やっぱり音楽好きなんだな。
やっぱり音楽ってプリミティブで、本能的なモノなんだな、と思った。

素敵なことである。

写真は、帽子をかぶって踊るN2K。

アデュー

(2011.11.7[Mon])

┃ 無用の用

一見役に立たないと思われるものも、実のその意味があるんだよ、ということを
昔の人は「無用の用」などと言ったである。

で、昔の人の知恵というのは非常に尊いものであるからして、
この言葉もきっと大切なことなのだろうが、
いかんせん哲学的なので、僕には良くわからなかったわけである。

--
さて、先日引っ越した部屋は、いわゆる1LDKのメゾネットタイプというヤツで、これがややこしい。

玄関を入ると一部屋、そして部屋の奥には階段があって、その上に
さらに一部屋、という変な間取りなのだ。

そもそも、同居人と僕が探していたのは、振り分けタイプという
2DKか2LDKの部屋で、こんなへんてこな部屋を借りる気はなかった。

しかし、どうもウケ狙いしがちな我々は、なんだかんだ言ってこの部屋が気に入り、
借りることにしたわけである。

で、間取りとしては、どうしてもキッチンやトイレ、風呂などがある1階(正確には2階)をリビングにするから、
必然的に2階(3階)が寝室になる。

こうなると、リビングは狭すぎるし、寝室は広すぎる、という不具合も出てくるのだが、
それ以上に困っているのが、2階にいる時のトイレである。

僕の実家などでは、1階2階それぞれにトイレがあり、わざわざ階段を昇降せずとも用をたすことができた。

だが、実際住んでいてもその便利さには気付かず、「トイレなんてそんなに使用しないのに無駄なもんだ」と
思っていたのである。

しかし、実際このメゾネットタイプに住んでみると分かるのだが、
トイレに行くのに階段を下りるのは非常に億劫である。

人は大概寝る前におしっこしたくなるものである。
その際、わざわざトコトコと階段を下りて用を足し、
また階段を上るのは非常にストレスなのだ。

そんなわけで、「各階のトイレ」、これは無用の用だったわけである。

今回、「用をたすことで無用の用を知る」ということで
非常に哲学的な話なのだが、これからずっとこのストレスに耐えねばならないと思うと、
けっこう面倒くさい。

もし将来、家を建てることがあれば、迷わず各階にトイレを作ろう、と
心に決めた次第である。

アデュー

2011.11.5[Sat]

┃ ケンタッキー愛

ここ最近、ケンタッキーフライドチキンにはまっている。

先日書いたように、僕はその極度の偏食の影響で
食に対して非常に保守的である。

新しいものはあまり食べたくないし、「おいしい」と思うモノだけ
ずっと食べていれば満足な人間なのだ。

で、どういうことが起こるかというと、何かにはまると連日そればかり食べることになる。

近いところだと、珈琲館のホットケーキに熱烈に恋していた時期があり、
この時期はおそらく1カ月のうち20日はホットケーキを食べていたと思う。

そのぐらい極端なのである。

で、僕は恥ずかしながら、この年までケンタッキーフライドチキンを食べたことがなかった。
お店には入ったことがあったのだが、いつもハンバーガーみたいなものを
食べていたのだ。

で、先日ひょんなことからチキンを食べてみたらこれがうまい。
非常にうまかった。

即座にその場でもう1本追加して食べた。
うまい。

その日から1週間の間に5回ほどケンタッキーに赴き、チキンを食べた。
店員もこれだけ来るとやや顔見知りになり、
チキンには5個の部位がある(リブ、キール、ドラム、サイ、ウイング)があることなどを教えてくれ、
僕はどんどん深みにはまっていくのであった。

しかし、一つ問題がある。
カーネルサンダース氏のチキンは、うまいのだが結構高いのだ。
チキンは1個240円、2個で460円ほどだ。

これにサイドメニューのビスケット(これまたうまい。日を改めて述べる)と
ドリンクを付けると、800円ほどになってしまう。

きょう日、牛丼に味噌汁とおしんこ、卵を付けても400円ぐらいなのだ。
チキンは非常に高い。

しかし。

もう後戻りはできない。

ひたすら飽きるまで食ってやろうと思っている。

アデュー

(2011.11.4[Fri])

┃ 勝利体験

以前書いたように、FXなるものに手を染めていた時期があった。

FXというのは、いわゆる外貨の取引で、持ち金の10倍とかの通貨の取引ができる、つまり勝てれば儲かるけど、
負ければとても損をするよ、という、まあそんな感じのものである。

幾人かの友人が「面白いよ」「やった方が良いよ」というので、
経済のケの字もわからない僕も、意気揚々と口座を開設して
取り組んでいたわけだ。

で、最初の頃は書籍を買ったり参考サイトを覗いたりして、真面目に勉強していたのだが、
どうにも良くわからない。

通貨というのは、その国の強さだ、ということなので、
何か発表があるごとに、その通りに買ってみるけど、イマイチ勝てない。

「バーナンキってお菓子の名前みたいだな」とか思う程度である。

そのうち、「すごく下がってるからそのうち上がるんじゃないか」とか
どんどん適当な予想になっていき、最終的にかなりの額を損して、
落胆と共に封印していたのである。

ただ、辞めてからも、円相場をチェックする癖が付いてしまい、
暇なときにサイトを見ては「ここで買うべきだな」とか「売るべきだな」などと考えていた。

--
さて、おりしも今は円高である。

まあ良くわからない僕が、分からないなりに考えると、
これだけ円高だと輸出産業がダメになってしまうわけで、
このままじゃ良くない。

そう考えるのはお上も同じようで、「為替介入」というのが入る。

これはつまり、「これ以上の円高は容認できないよ」ということで、
財務大臣がガンガンに相場に介入してくるのだ。

その結果、2円とか3円とかそういうレベルで相場が動く。
これはまあ、最終的に効果があるかは置いておいて、でかいことなのだ。

でもって、先週末、円ドルが75円台に突入したことがあり、
相場の方々は一様に「そろそろ介入が入るんじゃまいか」という噂をしていた。

実は、数か月前も同じようなことがあり、僕はその時リアルタイムで相場を見ていたのだが、
すごい勢いでチャートが動く。
つまり、こんなに分かりやすい動きはないわけで、さすがに僕でも勝てる気がした。

そんなわけで、今回の円高を見て、いてもたってもいられなくなり、
僕は1年ぶりぐらいに、FXを再開したのだ。

そして、昨日、その介入が入った。
75円だったドルが、78円まで下がったのである。

そして、勝てた。
はじめて「ああ、勝てたんだ」と実感した。
(つまり、そのぐらい負け続けていた)

この体験は非常に重要で、何事も勝ちパターンが見えないと勝負事は面白くない。

仕事でもゲームでも、まずは自分なりに一度成功してみることが重要なのだ。

今回、勝った額は累積の負け額には全然及ばないのだが、
僕はとても満足した。

人生、やはりこうあるべきだな、と思った。

そんなわけで、FXをこのまま再開してしまいそうである。
味をしめてしまったのだ。

そして、たぶん、年末には泣いていると思う。
その時は慰めて欲しい。

アデュー

(2011.11.2[Wed])

┃ もう11月

恒例であるが、もう11月である。
早い。

今年はかなり早い気がする。
大丈夫か、地球。


さて、今現在僕は植木屋的な髪形である。

平たく言うと、坊主が伸びた感じなのである。

で、毎日髪を洗う時、「一応」という感じでリンスまでするのだが
これ意味あるのだろか。

色々悩むお年頃なのである。

アデュー

(2011.11.1[Tue])

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