┃ 日常とサンクコスト
ビジネスシーンではたまに「サンクコスト」という言葉が使われる。
例えば、新しいプロジェクトをはじめて半年経過した時点で、
「これはどうもヒットしないぞ」という風向きになった時、
「でも、ここまで費用を掛けてきてしまったのだから、やらなかったら無駄になる」と
考えて負け戦に突入するようなこと、これがよくあるわけだ。
この時点で、それまでをあっさり捨てていけるか、という話であって、
よく経営判断の事例に出てきたりする。
負け戦にわざわざ突入するのは、誰が考えてもアホなわけで
普通なら撤退する。
しかし、「せっかくここまでやったのに」というのが、判断の邪魔をするわけである。
--
例えばこれはバンドも同じようなことで、
時間をかけて作った曲、これをボツにするのは「もったいない」と考えてしまう。
しかし、重要なのは結果であって、いくらしょうもない曲を作っても
これ以上時間を無駄にするだけなのだ。
受験や転職、色々な判断をするときに、この考え方は付きまとう。
せっかく勉強しても、「どうも役に立ちそうもない」と分かった時点で
すっぱりやめるべきなのである。
--
で、僕は凡人であるからして、こういう判断があまりできない。
結果として色々なことをずるずるやったりする。よくない。
しかし、先日我が家でこの「サンクコスト」をぶち破る行動を見たので書きとめておきたい。
そのジャッジを下したのは、他でもない同居人である。
同居人は、僕よりも舌が肥えているため、まずいものを食べない。
まあ、それは僕もそうなのだけど、「まずくても食べてしまうもの」というのがある。
それは「自分で作ったご飯」だ。
チャーハンを作っていて、どうもくそまずいものができてしまった、という場合、
「でもせっかく作ったし」ということでいやいや食べたりする。
しかし、同居人は違った。
僕はその時、PC作業をしていた。
ふと、同居人が台所で何か作っているな、と思ったら、
その後彼女がキッチンを出てきて「喫茶店にご飯を食べに行こう」と言う。
「あれ、キミは何か作っていたんじゃなかったの?」
「炒めものを作ったけど、まずいから捨てた」
「捨てたの?」
「捨てた」
というわけで、流しを見に行くと、三角コーナーに湯気が出ている
炒めものが捨ててあった。
ちょっとつまんでみると、確かにまずい。
「しかし、何も捨てなくても」
「わたしはまずいものは食べたくないのだよ」
なるほど。
確かにそうだ。
勿体ない、と思うけど、「まずいものを食べたくない」のだから
しょうがない。
そんなわけで、我々はドトールに行った。
--
サンクコスト、というのは、日常にもある。
そして、その判断ができる人はすごいと思う。
反面、ちょっと不安になるのでもあった。
アデュー